飼い犬の密やかなる主張




 今起きている状況を有り体に言うなら――そうね、どう繕っても我慢できなかった。この一言に尽きる。
 それ以外に言いようも、何もなくて。今日くらい良いよねだとか、彼女と密室になれるなら何処でもいいなどと、年齢相応の『健全な男子』らしいことを考えてみる。俺が年齢相応らしくしてみた結果、見事に体力を使いきった彼女はベッドに沈みながら不機嫌を隠さないで居た。
 うーん。俺が一番、俺のコト分かってなかったみたいでさ。うん、ごめんね? 一応の謝罪を口にしながらタバコを吹かす俺に対して、彼女は「ベッドに落とすつもり? 火種」とじっとりした目線で睨んでくる。まだ少し燻った媚熱まじりにさ、そんなカオしても圧に欠けるって言うか、逆効果って言うか……ホントに男心ってフクザツだぁね。
 わざわざ今日のためだけに彩ってくれた爪先。柔らかそうなシルエットのランジェリーを引っかけて「待てもロクにできないなんて、あなた今までどんな躾されてたのよ 恋人に」だなんて、至極真っ当な文句を言いながらシーツを素肌に滑らせる。ギッ……と小さく軋むベッド。彼女の指先が、口元のタバコを奪って、無言で距離が詰まる。

「そんなに怒られるとさ、俺もガマンできないってゆーか。コイビトに……って言うならさ? 君が教えてくれればイイんじゃないの、それこそ待てとか伏せとか イロイロ?」
「言ったわね? まさか自分から望むとは、ちょっと想定外だったわ。でも、望むと言うのであれば本当にイチから教える必要がありそうね」
「えーっと……少しは、加減してくれないかな。下手打つと明日、代打ちのバイトできな」
「今回に限っては自業自得じゃない、生徒会執行部の久保田くん。私に二度目は無いって分かってるでしょ?」
「いっ……! 待って、ねぇ。ホント、これ以上エッチなことヤると腰がしんどいから」
「私、これでもあなたの都合だけは常々考慮してるつもりよ? それこそ過度なくらいにね。強いて言うなら私の思考と認識に誤差があっただけ、自身の落ち度よ。以上」

 って言われてもねぇ、お願いだからさ。そんなカオして怒らないでよ、君に容赦なく叱られるのってさ、俺の――俺だけの特権じゃない。酷い仕打ちって理解していて、それであっても止められない。俺なら、君のやり場の無い欲をぶつけるアテになれるカモ。とか悪戯に囁いて。
 でも、どうして俺を選んだのかな? 純情なぶん、時任の方が可愛げあると思うケド。なんて、今言葉にしようものなら噛みつかれかねないな。目に見えたカタチになるなら、俺としてはそれもアリだけど。馬乗りになってきた彼女の腰の細さ、脚線の美しさに息を飲む。さっきみたいに可愛い君も嫌いじゃないけど、やっぱり俺の上にいる方が綺麗だね。

「ほんと……苦し……も、出な……」
「久保田くん、あなたこれで何度目? さっきから数えることだって出来てないじゃない。私、満足ってコトバの満の字にも至らないのだけど」
「……ぁ……く――っ! ん……んん、ん……は……っ」
「あら、軽く揺すっただけなのにずいぶんと呆気ないのね。まだ、出して良いなんて言ってないわよ? まったく、どうにも堪え性のない子なんだから」

 飴と鞭の微妙な割合、つまりさじ加減が好み。
 彼女の傍に居られるための安牌――そこから得られる利潤だけじゃ、正直言ってモノ足りなくて。他人に飛ぶはずだった言葉を、偶然を装った俺が被弾したりして、狙いがそらされたのにも関わらずさ、慌ててケアしてくれて。
 俺の意図なんて分かってたのかも知れないなァ。
 冷静に思えば、最初から。
 執行部絡みでヤケに生徒会とぶつかって、そのつど彼女が申し訳なさそうにしていて。とは言ってもどれくらい先まで読んでたんだろ。途中から内面的な雑念とか欲求もない混ぜになってたからなあ、俺。此処まで先の読める女性が時任の傍に居てくれたら安心、くらいに思ってたけど。

「確かに執行部とは言ったけれど、盲点だったわ。今度お詫びさせて。それくらい良いでしょ? 久保田くん」「お詫び、ねえ。例えばどんな?」
「物理的なモノ、精神的なモノ あなたはどう言うのが欲しいのかしら」「よく分からないけど、今ちょい心に潤いが足りてないカモ」――静かに投げてくれる正当な飴が、俺はうれしくて。
「さっきから黙って聞いていればあなた、恥ずかしくないの? 犬猫のように這いつくばってるのがお似合いね」「待って、なんか俺……変、じゃない? こんな扱いされて、ウレシイとか」
「コレに関してはゆっくり慣れていけば良いわ。でも不快な場合、限界な場合。言えば止めるから、さっき決めたコトを忘れないで」「うん」――理不尽に刺さる言葉の棘が、いとおしくて堪らない。

 一方的に想うだけならタダ、正面きって言うだけの度胸もなくて。でもね? どっか納得したカオで戻ってきた時任を見て、めちゃくちゃ安心したのを覚えてる。君と時任のお付き合いが決まったら、絵に描いたような「おめでとう」を貼りつけてさ。そのまま何事も無かったように傍らに居続けて、度を越した君がウッカリ周りに爪を立てても良いように待ってるだけで――つくづく欲しがりだよねぇ、俺も。
 でもさ。どうして綺麗めな時任とか、生徒会の橘じゃなくて、線の細さとは程遠いタイプの俺なんだろ。見目も整っていて地頭もいい彼女なら、面白いくらいに引く手あまたじゃない。荒磯、今年から共学とはいえ元男子校だし――性質や嗜好・身体的特徴に目を瞑ればさ、相手に不足は無いデショ。

「上手にできたわね、いい子。本当にいい子、ね」

 なんで、からっぽの俺なんだろ? こんな風に底が空いててさ、なにか入れた途端に重みでスッと抜けてくような奴なのに。あれこれ考えていても彼女の言葉に酔ってくと無意味になって、次第にどうでも良くなる。
 うん。うん。そうね、俺は――。
 我ながら暗示めいてると思う。たとえ暗示だとして、俺って言う存在の底に触れて、音もなく抜けてく彼女の言葉が、感覚としてすごく響いて。ツンっと取り澄ました声が鼓膜をさわさわと刺激するの、聴き慣れてないからかな? くすぐったくて、硬さと柔らかさの混ざり具合いが気持ちい。

「……ね、  ちゃん……俺」
「なぁに。どこか痛む? それともまだ足りない?」

 普通の女の子が好きそうなコト、手管として試してみたのは良いけど。少し前まで俺の下で泣いて悦がってさ、ぎゅーって縋りついてきたのが嘘みたい。そのあとは相当お怒りだったと言うべきか、でも多少は沈静化したのかな。誠人はいい子ねって、優しい声が繰り返す。
 小さな手のひらがわしゃわしゃと髪を撫でて、うなじをたどって、するりと背中に滑ってく。その流れで寄ってきた唇が、ちゅっと耳元に触れる。ちょうど肩甲骨の、彼女が思いきり爪を立てたあたりを指先が撫でて――何処か謝っているようにも感じられたその仕草が何だか嬉しかった。

「ううん。もっと、さ。君に褒めて欲しーとか思って。それだけで、俺……  な気持ち、な気がする」
「そう? なら、誠人。私の膝を枕にしてみて」
「……こう?」
「よく出来たわね。いい子。無理な時は、ちゃんと言えるわよね?」
「うん。俺……  かも、こんなに君に考えてもらえるなんて」

 俺ちゃんと、答えられたデショ?
 君の欲しい言葉。彼女の膝に頭を乗せて、ぎゅっと抱きつく。俺が理解できない感情を、セーフワードそれに選んでみたけれど。男女の差は明らかなのだし、実際そこまで徹底しなくとも――と思う。俺の身の安全や保護。こう言った面で彼女は非常に細やかで、思っていたよりも心配性らしい。
 クラスの奴らも、時任だって知らないよね?
 君が本当は誰よりも優しくて、誰よりも理不尽なことを。ひとつひとつを問いかけると、彼女は真っ直ぐ俺を見据えて「優しい、と言われてもね。自分じゃよく分からないわ」とか「時任くんには簡単に話したわ。私がソッチの趣味ってコト」と身を寄せながら返してくれる。

「今夜このまま泊まって、さ。明日、ギリギリまで一緒に居て。ホテルじゃなくて、ううん。何処でも……何処でもいい、から」
「私は別に構わなけれど、ひとりで大丈夫なの? 時任くん」
「言ってある。今日一日は君と一緒なコト」
「……そ。分かったわ」

 今はまだ、俺からの注文が多いかもしれないけどね。いつか、君が誇れるだけの存在になれるって――そんな、幻想めいた感情を持っていても良い? この何とも言えない不完全な時間を、とりあえず楽しんでみたいんだ。俺は。君と。駄目、かな。
 さっきからずうっと上がりつづける口角を隠そうとして、ベッドサイドに半身を伸ばした俺は新しいタバコに火を点ける。そして重苦しいくらいの、甘ったるい気だるさと充足感を煙と一緒に吐き出した。



 十八になった夏の日、俺は初めて恋人と密に過ごした。
 執行部のメンツと、いつものようにバカ騒ぎじゃなくて。校内の見まわりとか、愛の制裁を与えている訳でもなくて。倒錯した行為で満たされるなんて、にわかには信じられなかった俺に、当たり前に与えられた快楽。
 もっと欲しい。欲しい、かも。君が力加減してくれるなら、俺は苦しいくらいで丁度イイみたい。今日はその欲望を突きつけた、ハジメテの日。



***

 久保田くんを表現する時の悩みなのですが、どうしても真面目な顔して女の子に迫ってる絵面が想像つかなくて。かと言って、個人的な解釈上ふざけて迫れるタイプでも無いしなあ……彼、となってしまって。どう頑張って足掻いても、こういうのしか出てこなくて。でも、お誕生日おめでとうって気持ちはあるのよ? うん。
 彼女の意思にかかわらず、自分と時任くんとを比べるのは無意識の自傷行為と言うか……久保田くんの中での、こう、ある種の認承的な行動と言うか。彼には色んな要素が複雑に散りばめてあって、ひとつひとつ読み解いていくのが楽しいキャラクターですよね。
 たぶん、ですが。時任くんに関しては自分と異なる性質の同性って意味で認めてる、それゆえ比較対象に持ってきそうよね、とは感じます。あと、今回は意図的に漫画寄りのセリフまわしにしてみました! 空白部分にどんな言葉を入れるのか、解釈の数だけ沢山ありそうで、考えるのが楽しいです。
 久保田くん、お誕生日おめでとう。長々と綴りましたが、美味しく食べていただけたら嬉しいです。


2024.08.24 Happybirthday♡