Accept 09




 季節は移ろって、今日も春の陽射し。それであっても暖まった空気は、夜になれば冷えたものになってしまう。それを少し残念に思いながらも、ツバキは再びあの街へと降り立った。光るネオンは眩しくて目に痛い。けれど、遠くから見ればそれは程よく綺麗に映るのだろう。煩く感じた客引きの声も、あまり気にならなかった。歌姫に連れられてドレスを見ながら、ツバキはあれこれと気持ちを落ち着ける方法を探した。そうして意を決すると、ジンが在籍している店へと向かう。

「戻ったわ、ジン。ノエルはまだなのね」
「お前か。マスターと彼女なら準備中だ」

 入店してきたのは歌姫だった。マスターと常々一緒のイメージがあるせいか、そのように告げた。ぶっきらぼうに返される様子にも怖じない彼女はいったん廊下に出て、一人の少女を連れて戻ってきた。

「店の前に置き去りにするわけにもね。貴方に用があると言うものだから、案内がてらドレスコードを」
「ご無沙汰しております、ジン兄様。あの……似合い、ますか?」

 黒いサテン生地のドレスはシンプルな意匠だが、整った身体のラインが美しく出る。腰のある紅髪を纏めて、白薔薇の髪飾りでシンプルに留めていた。薄く施された化粧も丁度良く、好印象が持てる。あまりの変わりように、ジンは驚いて何も言えなかった。
 そんな様子に満足した歌姫は、ツバキに席を勧めながら店内に置かれたピアノを弾きはじめる。軽快に刻まれる白と黒のリズム。それを耳にしながら、ノンアルコールのカクテルを用意する。ライムのシロップが美しく沈む、炭酸のジュース。たったそれだけなのに、みるみるうちに表情を破顔させたツバキは嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。あの、ノエルは来ますか?」
「ああ。じきに来るはずだ。しかし、その――何だ。無事だったようで安心した」
「でも、これでもかって叱られました。此方の方に」

 気持ち程度に声をひそめたツバキに、ジンは目を丸くした。マスターが何かしらの世話を焼く姿は目に見えた情景だが、彼女がと言うのは正直あまり……。
 すると、誰もが示し合わせたかのように笑いだす。この場にいる誰もが、歌姫には似たような印象を持っているらしい。その様子を静観していた本人は、仕方が無さそうに肩を竦めた。

「ツバキの信念は称賛に値するわね。私には真似が出来ないわ」
「すぐにそういう言い方なさるんですから。僕はそんな子に育てた覚えは無いのですけれどね」

 店の奥から支度を整えて出てきたマスターは、本当に仕方がないといった様子だ。彼が持っていたのは一冊のアルバム。そこに写っていたのは、幼い頃の二人と思しき少年と少女だった。

「あ、ジンさん。ジンさん!」
「何だ。そんなに呼ばなくとも聞こえている」

 さらに彼が抱えてきたのは淡い桃色の包み。それを嬉しそうに開封すると、箱から現れたのは陶器でできたウサギのペッパーミルだ。
 誕生日おめでとう。手短すぎるくらいに綴ってはみたが、そこまで喜ばれるとは想定外というか。贈った方がこそばゆくなる喜び方をするものである。

「予定通り、今夜は豪勢にしますよ。ツバキさんも呼ばれてください、お嫌でなかったら」
「……はい! 喜んで」
「もうじき全員が揃いますね。今年はみんなで過ごせて僕は果報者です、ありがとうございます」

 彼の言葉を遮るように大きなエンジン音が空気を震わせる。それが店の前に停まって、大きな足取りで一人の男が降りてくる。それがカグラであることは、派手めな様相が語っていた。その後ろに続いてきたのは、小さな包みを手にしたノエルだった。
 大慌てで選んできたのだろう、プレゼントには肝心の宛名が書いてない。そんな様子に微笑んだ青年は「ノエルさんらしくて、可愛い贈り物ですね」と嬉しそうに受け取った。
 歌姫の裁量だろう、カグラの名前でキープされたボトルが開けられる。すると「今月は厳しいんだよ! マジ、それだけは」と大柄な男は情けない声を出しながら、それでも楽しそうに笑う。



 世界は当然ながらこの事象を投棄した。
 資格者たちに与えられた暖かくて、穏やかな日々。まるでそれを手にしてはいけないと、みずから禁じているかのように。
 蒼の断片からこぼれた僅かな希望。微かな声は、神の観る願望へと消え失せた。
 そこで出会えた人たちのことを、どうか覚えていて欲しい。何かを観測した瞬間、刹那でいい。思い出して――。



 End.