Accept 08




 慌ただしく大勢の衛士たちが行きかう第四師団。その廊下をツバキはふらふらと危うい足取りで歩いていた。ジンの生活具合も知れた、元気な顔も見れた。なのに、どうして最後がああなってしまったのだろう。気を緩めたら涙が零れ落ちそうだ。すると、何かを感じたのか一人の女性衛士が歩み寄ってきた。

「体調不良ならそのように申し出て頂戴。理解はできてるでしょう? お嬢さん」
「あ、貴方は……。士官学校の、時の」

 その響きは技術大佐が発するものと同じだった。女性を指しているには違いないだろうが、彼女のような華やかな女性に言われると何だか気恥ずかしい。
 歌姫。民衆からそのように囃される彼女は、統制機構の非常勤として配属されているようだった。士官学校時代に、何度か講義を受けた記憶がある。

「あら、覚えていてくださったの? それにしても、お若い十二矛士様に記憶して頂けるなんてね。驚いたわ」

 ごく自然な所作で書類の山を取られた。そしてそれが済めば誰も居ない食堂へと連行されていく。あれこれ訊ねられながら、暖かい紅茶が注がれて、グラスの中の氷が溶ける音がする。手作りのガムシロップに、気持ち程度のミルクが添えられた。

「子供扱いしている訳では無いのよ? レモンがあるならそちらの方がずっと良かったのだけれど」
「……ありがとうございます」

 古い記憶を掘り返す。確か、彼女が教えていたのは心理学だ。集団心理やカウンセリング、多岐にわたるようだったのを思い出す。何処を取っても自然な様子に、ツバキは何も言えなくなった。
 気づけばぽつり、ぽつりと話しだしていた。
 自分の生まれた家のこと、出会ったジンと一緒にどんな出会いがあったか。秘書官になれなかったこと。それから、ややあって喧嘩別れしてきたこと。

「ムツキ大佐が貴女に話せなかったのは、彼の置かれている立場ゆえでしょうね。私には宗家の事情なんて到底分からないけれど、悪く言わないで欲しいものだわ」

 つい、カグラを責めるような言い方になってしまった。すると、意外にも歌姫は不機嫌を露わにした。そんな様子に目を丸くしていると「フェアでないわね」と言いながら彼女自身の話しをしてくれた。
 異端者狩り。それは近年になっても続いた悪しき風習。
 歴史の裏を生きる旧家の生まれである彼女は、異端視されるあまり貴族特権を持ちながら辺境に封じられていた。それを匿い、助けたのがカグラなのだと。

「そんな事が……? でも、大佐は一言も言ってくれなかったわ。どんな時も」
「無垢な子供に、大人と同等の対応を求める方が気狂いだわ。男の人って体面を気にするくせに本当、不器用よね」

 それから話題はカグラの仕事ぶりにシフトしていった。彼は出来ないふりをしている。その見解には興味を惹かれた。
 推測でしかないと彼女は言うが、理論立てて考えてみるとツバキの中で何かがピタリと噛み合った。物事を見る視点を少しずらすだけで、こうも違って見えるものなのか。

「……もう戻れないのでしょうか。あの頃みたいにじゃなくて良いんです。二人とのこれからが欲しいんです」
「私、貴女みたいな子は嫌いじゃないの。真っ直ぐで、権力の使い方も立場も正しく理解できないその未熟さも。だから、頑張りなさい」

 そう言った彼女から渡されたのは、ミズハ行きの切符だった。日時は次の週末、夜に到着する便だ。

「――それじゃあ、この日。現地で会いましょうね」

 短く言い残すと優雅に微笑んだ歌姫は静かに席を立った。偶然、通りかかった衛士に呼び止められ、そのまま応対する。急な来訪に深く息を吐いた彼女は、静かにツバキへ視線を投げた。その仕草が、どことなくカグラに似ていると感じたのは少女だけの秘密である。