鳥かごの少女は初恋にまどろむ 15




 普通なら、たぶん怒ったりするんだろうと思う。それを考えたら、扱いやすい都合のいい女なのかも知れない。デートで現地解散をオッケーした挙げ句、何も言わずに次の予定に送りだす女なんて。
 でも、と思う。あの日、突然訪ねてきた自分を何も訊かずに受け入れてくれたのだ。何も言わずに置いてくれて、身の安全を保証してくれた。だったら、出来るかぎりを務めないでどうしようと言うのだ。
 それに、誠人にだって話したくないこと――触れられたくないことくらいあるだろう。他人と自分が同一と言いたいわけではないが、理解の有無によっては雲泥の差だろうと思う。
 エレベーターを降りて、久保田の表札がある部屋を目指す。その道すがら、玲子は部屋の前に一人の男性が居ることに気づく。立ち姿から判断するに小宮では無い。ダークトーンのスーツを着こなし、柔らかそうな髪を後ろに束ねている。ぴんと伸びた背筋に、高い身長がルックスの良さを語っていた。

「……どう、して」
「意外と早かったですね。お久しぶりです、玲子さん」

 その姿には覚えがある。婚約破棄を申し出ようとしていた相手だったからだ。彼は穏やかに微笑を浮かべたが、玲子の表情は引きつってく一方である。どうして彼が此処に? そもそも、どうやって居場所を知った?
 場所を含めた仔細を知ってるのは千鶴くらいだ。そこから洩れる以外は知りようが無く、また、彼女が口外したことは考えにくい。なら、どうして彼が此処にいる? 玲子の疑問に答えるよう、眼前の青年は「いえね」と口を開いた。

「なかなか口を割ってくださらなくて難儀したんですよ? いい友人を持たれましたね、玲子さん」
「貴方……彼女に、なにを……」
「ちょっと軽口になれるモノを提供しただけ、ですよ。いやだなあ」

 そう言って変わりなく微笑を貼りつける城崎。彼は思い出したように一丁の銃を取り出した。短いグリップと銃身――女性でも扱いやすいとのことで玲子が護身として持っていたものだ。
 誠人と再会できたあの雨の日、初めて人を撃ったのをまざまざと思い出した。その道のプロを相手に肩を狙ったから、死んではいないだろうと思う。銃は感触が残らないと言うが、そんなの嘘っぱちだ。撃った瞬間の衝撃を、感覚を。心は嫌でも覚えている。

「場所、変えませんか? 僕には少し騒がしすぎます」
「構わないけれど、行先を残しても?」
「それはご自由にどうぞ」

 行先を残してどうするのだろう。自分に何かあったら、誠人も巻きこむことになるじゃないか。部屋にあがると電話の横にあるメモ帳へ走り書きをした。
 城崎冬弥と一緒 玲子――とだけ残す。こんなの行先でも何でも無いじゃないかと冷静に洩らす自嘲。でも、今残せるものを残しておかないと後悔するかもしれない。身勝手だと思うが、帰ってきた誠人に心配をかけたくなかった。

「お待たせしました、冬弥さん」
「いえいえ。さ、行きましょうか」

 彼にエスコートされながら、停めてあった黒塗りの車に乗りこむ。冬弥と談笑する気にもなれず、求められたときだけ応えていると、急激に重たくなってきた瞼に目を閉じてしまうのであった。
 それが、致命的なミスだった。玲子さん。穏やかに声がかけられ、促されるまま視界を開けたときには小綺麗だが見慣れない部屋。品良く調えられた様子に、何処かのホテルの一室だろうとは思う。

「冬弥さん……? それ、は」
「貴方のご友人に提供したものと同じモノです。少し気持ちよくなれますから――とはいえ依存性は無いので安心してくださいね」

 そういう問題じゃない。言葉にするより前に、素肌から感じるチクッとした小さな痛み。注入される無色透明の薬品に、視界が揺れてふわふわとした浮遊感を味わう。軽口になれるモノ、たとえば自白剤のたぐいだろうか? 玲子は少ない知識を必死にかき集める。

「ずいぶんと欲深な男なんですねぇ。その久保田くん、という方は」
「……っ! やめ……」
「此処は城崎のプライベートホテルですから、助けは来ないと思ってくださいね」

 玲子の顎を捕らえて上向かせる。首元に残された鬱血痕を忌々しげに見やった冬弥。その肌を食むのは僕だったのに。そう言いたげで、彼の表情が窺えない今が堪らなく怖い。
玲子さん。貴女は今、久保田誠人という少年と一緒ですね?」
「…………いいえ」
「では、質問を変えます。その久保田誠人という少年は、貴女の何なんです?」
「それ、は……」

 戸籍を調べて知ってしまった。彼は――久保田誠人は父方に認知されていない私生児であると。不自然な点もいくつか見受けられたが、所詮は役所仕事だ。書類に不備が無ければ通すしか無く、宗方誠治が愛人との間に設けた子であることは闇に葬られたのである。
 異母姉弟とはいえ男と女だ。他人だった時間が長いことも手伝って、姉だ弟だと言ってもしっくりこない。認知されていなければ、赤の他人と言っても過言では無いことを実感した。あとは倫理のもちようで姉弟のような恋人、恋人のような姉弟――と言うのも間違いでは無いのかも知れない。

「言えませんか? 僕との婚約を蹴ってまで捜した男……それだけで充分に憎らしいですよ。えぇ、それはもう」
「……っあ……」

 二度目の自白剤が投与される。上擦った声が青年を煽り立てているのは明白で。玲子は気丈に睨んでいたが、身体の疼きに耐えかねて目をそらす。
 耐えろ。耐えろ。耐えろ。歯を食いしばって言い聞かせる。千鶴だって迷わずそれを選んだはずだし、吐露してしまった悔しさを考えたら。自白剤の投与くらい、どうと言うことは無いはずだ。