鳥かごの少女は初恋にまどろむ 16




 ただいま。集金廻りから帰ってきた誠人は、玲子が出迎えてくれないことを不審に思った。気配を殺して室内にあがる。廊下をすり足で歩き、リビングのドアを無音で開けた。指先でたどって明かりを点ける。
 荒らされた形跡はなく、物盗りなどと鉢合わせたわけでは無さそうだ。テーブルの上には玲子の携帯と小振りの拳銃が置かれていた。弾は使い切ったのだろうか、弾倉が抜かれている。彼女はこれを使ったのか? 一体、どうして。

「…………玲子、ちゃん?」

 何処へ行ったの? その問いに答えてくれる人間は居ない。このあたりは土地勘の無い場所だ、単独で動くにしても遠くへは行かないはず。固定電話が鳴るが、それは留守番電話へと切り替わる。ふと、まっさらなはずのメモ帳に目線がいった。
 城崎冬弥と一緒――残された男の名前とメモの筆跡に、思わず眉間を寄せる。城崎グループを興した男の孫が、確かそんなような名前だったはず。なぜ、玲子はその男と一緒にいる? あれこれと考えてみるが、物事を組み合わせるには圧倒的にパーツが足りなさすぎる。
 誠人が呼びかけても、やはり返事は無い。静まり返ったこの部屋が、堪らなく寂しかった。寝室を覗く。彼女の小さな背中は無い。なんだか胸のあたりが、ざわざわと騒ぐ。その時だった。鍵がまわり、ガチャリとドアの開けられる音。

玲子ちゃん……! いったい、何処に……」
「誠人……? ふふ、帰って、これた……良かった……」

 安堵した彼女は、限界を訴えるように腰から崩れ落ちた。どうにか駆け寄って抱き起こすが、呼吸はひどく浅く――誠人が触れた途端、大袈裟なまでにびくりと反応した。
 ちょっと診るよ? 慎重に言葉にしながら静脈のあたりを確認する。痕にはなっていないが、何度か注射された形跡がある。麻薬などの匂いは無いから、危険なモノを打たれたわけでは無さそうだが――。

玲子ちゃん。ベッドとシャワーどっちがいい?」
「まこと……誠人と一緒がいい」
「ん。わかった」

 すりと寄ってきた玲子の頭を優しく撫でる。彼女の身体をかかえると、手近な寝室へと向かう。ベッドに降ろしてやり、手探りで照明を点ける。パチンと音をたてて点いた明かりに、彼女は眩しそうに布団へもぐりこんだ。
 城崎冬弥と会っていて何か問題でもあったのだろうか。小さな手が伸びてきて、誠人の服を握って離さない。何か言葉を言いたそうにしている気がして「どうしたの?」と問いかけてみる。

「わたし、ね。結婚するのイヤだったの……だからね」
「うん」
「父さまに誠人を捜せたらわたしの勝ちって言ったの。あなたに会いたかった、自由になりたかった」
「…………そうだね。玲ちゃんはあの家に居るべきじゃないかもね」

 家の繁栄や存続のためなら手段を選ばない。今の当主がいる限り、彼女はあそこに居るべきではない。以前から思うところはあったが、宗方誠治という男を間近で見て改めて実感したものだった。

「俺もさ。撃ったよ……何回か」
「うん」
「ヒトって簡単に死ぬんだなぁって。だから俺もいつかさ、ああやって死ぬんだろうなーって思った」

 淡々とした告白。ぎゅっと玲子が半身を預けるように、不安定な体勢のまま抱きついてきた。体温を分けようとするかのように、生きていることを伝えるかのように。誠人はそれに応えることなく、控えめに彼女の細い手首に触れる。
 互いの体液に塗れて汚れたシーツを器用に裂く。玲子の薬指を取り、自身の手を重ねると細い布になったそれで結び留めてしまう。気休めだ。理解していても、今はそれに縋りたかった。
 なにやら結んだ薬指を見つめて――どうしてだろう? その時の誠人はくしゃりとあどけなく笑っていた。それこそ年齢相応の、いや、それよりも幼い子供みたいな無邪気さで。こんなふうに笑った彼は、はじめて見た。それが嬉しくて、つられるように玲子も微笑むのである。
 この先、玲子が誰と夜を過ごしても。真っ先に思い出すのは他ならない自分のことなのだと思ったら、途端に感情のすべてがほの昏く、深いところへと沈んでいくのを感じる。言葉にできない想いをキミへ。誠人は繋いだ指先を見つめると、静かに想いを込めて唇づけたのであった。



2024.8.17 完結