cage 11




「もしもし、千鶴さん? 俺――久保田だけど」
『――お。どしたの、さっそく何か入用? それとももっと別な用事かな?』

 タンカーでの大掛かりな取り引きから、かれこれ数日が経とうとしていた。あの夜のキス以降、理性の危機を感じた誠人は、教えてもらった千鶴の携帯番号を鳴らすことにした。
 玲子がダボついた服で部屋の中に居るのは許容範囲だ。しいて言うなら想定内の事象になる。しかし、彼女の青年に対する無防備さは想定外としか言いようがなく……。
 まったく意識されていないと言うわけでもなく、いくら異母姉弟とはいえ、自分も健全な男子なのだが。ぶっちゃけたところ平静を保たせる自信が、彼女の前では建前など容易く崩れる様子しか浮かばず。
 あれこれ掻い摘んで話すなり電話越しに大爆笑した千鶴は、手早く日程を示してくれた。一番早くて今日の午後から空いているのだと言う。これは幸運かも知れない。

玲子ちゃん。俺ちょっと買い物行ってくる」
「あ、もし余裕あったら食材も買ってきてくれると助かるかも。気をつけて、ね?」
「ん、オーケー。留守番よろしくね」

 待ち合わせ場所は一駅先の駅前通り。帰宅ラッシュでごみごみした電車で移動し、駅前のロータリーに見慣れた車が停まっているのを見つける。
 運転席からミラー越しに後部を見やり、千鶴は「誠人ってばずいぶん大きく伸びたねぇ」とのんきに笑う。誠人はそんな仕草も変わらないなと思いながら「第一声それなの?」と的確な切り返しを見舞った。

「あはは、事実じゃないの。――そうそう、最近どこも禁煙だから今のうちに吸っておきなよ」
「じゃあ遠慮なく」

 背もたれに身体を預けながら窓を開け、胸ポケットをあさる。少しへこんだソフトケースからタバコを咥え出すと、風に吹かれないようにしながらライターを点けた。ひと通りの所作を見ていた運転手は「サマになってるじゃないのさ」と感心したように目を細める。
 これから向かうのは大型のショッピングモールだ。到着するなりエスカレーターで上階にあがりながら、女性向けのブランドロゴを探す。夏らしく露出が多いものが大半を占めた服屋の一角だったが、彼女は慣れた様子でフォーマルな意匠からカジュアルなものまでを網羅してく。

「あー……此処のコーヒーしみるわぁ」
「女の子の買い物って大変だぁね。なんて言うか、想像以上カモ」
「済まないねぇ、荷物もちさせちゃって。おかげで手間が省けるよ」

 一階のフロアにあるコーヒー店を出ると、手分けして残りの買い物を済ませる。千鶴は下着や衛生用品、誠人は食材を買いにそれぞれ繰り出した。手際よく済ませると、小さな車に積み込む。後部にまで及んだ荷物に、運転手は「仕方がない。覚悟を決めて助手席に乗りなよ」と洩らすのだった。

「おかえりなさい、誠人。……と、千鶴さん!」
「ただいま、お嬢さん。服と下着と……こっちは私からの餞別ってことで」
「……わ、いろいろとありがとう。開けてみてもいい?」

 出迎えた玲子の無防備すぎる格好に、千鶴は「……うん。あのときは笑って悪かったよ、誠人」と小声で謝罪を耳打ち。衣類と下着とを運びこみ、最後に別の袋を渡す。
 目を輝かせた玲子はまるで子供のよう。餞別と言って渡された包みを丁寧に開ける。中から出てきたのは紺地に黄色い洋花が散った、落ち着きながらも品と可愛らしさのある佇まいをした浴衣だった。

「このへん、近いうちにお祭りあるみたいだからね。ふたりで楽しんでおいでよ」
「そうなんだ。……って、千鶴さんは?」
「その日は先約あるから別行動かな」
「残念」
「そんなカオしないの。誠人のヤツが連れてってくれるから良いじゃない。ねぇ?」

 話しを振られた誠人は食材を納めきり、冷蔵庫のドアを閉めながら「そうね。近くだし、俺で良いなら」と薄く微笑んだ。タバコに手を伸ばして、中身が空になっていることに気づくと、ケースを握り潰してゴミ箱へ放りこもうとした。
 千鶴に止められるまでは、捨てるつもりでいた。誠人からソフトケースを預かった彼女は、折り紙の要領で中の紙袋を正方形に折りたたむ。そのあと器用にフィルムケースに戻すと、ライターで余分なところを炙って形を整えた。何かを入れるのに丁度良さそうだが……と考えている間に、千鶴はポーチから出したコンドームをその中にしまっていたではないか。彼女なりに熟慮した結果だろう「たぶん、コレが安牌かなって」と真面目な顔をして誠人に手渡すのであった。