Accept 03
第二十二階層都市ミズハ。
そこが今落ち着いて暮らしている都市の名前だ。やはりそれも山脈を這うように土台を埋めて基礎を造り、区画化して建造された高層都市である。統制機構による管理を受けているとはいえ猥雑としていて、どこか旧時代的な街並みをしているのが特徴的だろうか。
特徴的。そうは言ったものの、自分がまともに生活した経験がある階層都市なんて、士官学校のあったトリフネくらいだ。あそこは元から治安も良かったし、何よりジン自身がキサラギ家の保護下にあっただけあり、衣食住には困らなかったと感じる。
店内を柔らかい光りが照らす。優しく術式の火を灯した照明もだが、調度品ひと つとっても慎ましく、それでいて品良く纏められている。居心地は悪くなく、どこか安心さえする始末である。
ふっと軽く自嘲めいた笑みを洩らす。これでもかつては『最年少師団長』やら『イカルガの英雄』などと呼ばれていた。そんな男の末路が辺境の階層都市でその日暮らしなのだから、誰にも理解されないだろう。
この店のマスターに拾われて、もう半年ほど。年季の入ったマダムから年若い娘まで、自分に寄ってくる女はそれなりに居るから稼ぎには困らない。以前の生活から考えればとても粗末だが、これもなかなか悪くない気がする。達成感があると言えばいいのだろうか、充実しているような気がするのだ。
カラン――カランッ。
入店を知らせるベルが小気味良く鳴る。それに混じって聞こえたのはざぁっざぁという風音。今夜は天気が荒れそうだ。そんな事を考えながらベッドに沈めた半身を起こすと、控えめにドアがノックされた。
「ジンさん、ご指名ですよ」
「分かった」
サックスの演奏に合わせて、ほっそりした体躯がマイクスタンドに絡みつくように沿わされる。ゆったりとしたピアノの旋律に引き上げられるよう、この店が抱えている歌姫が歌いだす。共用語である英語に、それから発音の癖からしてドイツ語だろうか。女声らしく伸びのある高音と、艶を含む吐息がその節まわしに相まって視線を向ける男は多い。が、彼女の高飛車かつ天邪鬼な物言いに付き合える人間はどれほど居るのだろうか。
そんなことを考えながら、カウンター越しに客の正面に立つ。この店にメニューなどあって無いようなものだが、と思いつつ何気なく視線を向ける。女と言うには少々若い、どちらかと言うと幼いだろうか。オドオドした挙動が世間慣れしていないようで、そう形容するのが妥当そうだ。
俯きがちだった顔が上げられた瞬間、ジンは息を飲むハメになる。怯えた色を映した翡翠の大きな瞳、さらりと伸びた金のロングヘアー。よくよく見れば見覚えのある第四師団の制服。秘書官だった少女に酷似……いや、下手したらそのものじゃないか。
「あ、あの……えっと。その」
あくまで『客』を相手にする事ではないと、頭では理解している。だが、長い生活での癖なのだろうか自然と彼女に対しては圧をかけてしまっていた。
縮こまった様子を見かねたのだろう、マスターはいつの間にか用意していたノンアルコールのカクテルを出している。落ち着け。まだアレと決まったわけではない。他人の空似の可能性だって。そう、切に言い聞かせていたが。
「キサラギ少佐……ですよね?」
「もう少佐では無い、そう言っただろう。ヴァーミリオン少尉」
「ずっと、ずっと探してたんですよ! でも、見つからなくて」
「分かったから……その、泣くな」
冷静に返せた自分に驚きが隠せない。声を潜めて呼んでやれば、ぱぁっと表情が和らいで。それからは感極まったのか泣きじゃくっていた。どうにか泣き止ませようとするが、どれも逆効果な気がして躊躇われる。
絶対に他言しない事を約束させると、作った空名刺をノエルに持たせてやった。裏面には連絡先が書いてある。使われることは無いだろうが、気休めにはなるだろう。
「何処に泊まってるんだ。そこまでで良ければ送る」
「そ、そんな! 少佐のお手を煩わせるなんて」
当然だがこの時間では魔操船は出ていない。それならせめて宿泊しているホテルまで送るくらいなら出来るか。彼女を送ろうとして傘に手を伸ばす。席を立った途端に、何だか歯切れが悪くなる。
「宿泊のアテが無い……だと? もう一度言ってみろ」
「す、済みません!」
「泊めてあげたら良いじゃありませんか。積もる話しもありそうですし……ね? ジンさん、お願いします」
「うぅ……お願いします。キサラギ少佐」
彼女の弁明を聞く限りでは、どう聞いても事前のリサーチ不足だった。その行動力は褒められるだろうが、これでは手放しで褒められないじゃないか。叱りつけたところで魔操船が発着するわけでも無いし、と考えていれば他ならない彼から助け舟が出された。
脳内に浮かんだ光景に、思わず渋面になる。倫理観とか貞操観念よりも、来客用の布団はあっただろうかと。無かったら適当にソファーで寝ることに決め、ノエルを連れて店を出る。
カツ、カツカツ――。
慣れた足取りで階段を上り、このビルの二階にある部屋を目指す。周囲は寝静まっているという事はなく、深夜まわっても飲み歩く男の声や客引きの文句が聞こえる。煌びやかなネオンが看板を飾り、ノエルはそれを宝石でも眺めるかのように見つめていた。
相変わらず娯楽とは切り離された生活をしているのだろうか。そんな事を思いながら錠を開け、乱雑にドアを開けて待つ。片手で探って照明を点けると、閑散とした室内が明るくなる。
「済まないな、片付いてなくて」
統合本部やカグツチ近辺、そこからこのミズハまでは長旅だっただろう。そう決まり文句を言いながら、彼女に座れる場所をと視線を彷徨わせる。壁に沿わせて段ボールは山積み。雑誌はテーブルに山を作っているし、脱いだシャツもソファーにそのままだ。今朝は珍しくバタバタしていたのだと思い出した。くしゃりと髪を掻き上げると手早く片付け、小さなケトルで二人分のお湯を沸かす。
「会えて良かったです……キサラギ先輩」
「……、そうか」
重犯罪者である『死神』に関わる一連の単独行動に命令違反、斬りあった果ての負傷で戦線離脱を余儀なくされた。去りぎわに問い詰められ渋々と答えたが、確かにジンが望めば事務衛士として留まる事も出来ただろう。だが、これ以上の権力争いは勘弁願いたかった。
その煽りを受けたのは明白で、事実上キサラギ家からも追放された。いくら素質があろうとも、もう用済みなのだと、誰の目からも見て取れた。自ら招いた事態とはいえ、捨て鉢な心持ちで統制機構から除隊されたのだ。
「しかし、どうして此処が分かった」
彼女にも、幼馴染みの少女にも、誰にも言わずに行方をくらましたのだから無理も無いのかも知れない。キサラギ家以外に行くアテなど無かったし、生活さえ満足に保障されないのだ。それならいっそ死んだものと思われた方が、まだ幾分は気が楽だ。
「カグラさんから聞いて、それで」
それでか、とジンは納得がいった。連絡を取り合っていたのは、そのカグラくらいだからだ。そこから洩れない限りは、誰も知りようが無い訳で……。
よりによってこの女かと思った反面、何だか救われた気がした。このひたむきさは評価に値するかも知れないからだ。軍人としては及第点だらけな彼女だが、人間としては必要な要素だろう。褒めるように頭を撫で、綻んだその表情を覗き込む。
「先輩、何だか変わられましたね」
「そうか? まぁ……否定はしない」
そのように振舞わなくて良いと言うのは、こんなにも気が楽なのかと思った。以前のジンなら他者に、それこそ優しくするなど微塵も考えなかっただろう。
「とはいえ、男の部屋に泊まるなんて歓迎は出来ないが」
心配しているのが声に出たのは丸分かりだったのだろう。その変化を感じ取ったノエルの表情は目に見えて明るくなった。小さな手が伸びてきて、それが優しくジンの頭を撫でる。それだけでは飽き足らないのか、するりと首筋をなぞってきて。
その手を制すると、小さな身体を抱き竦めてしまう。本当に、泊める男が自分でなかったらどうする気でいたのだろうかと思う。
「僕で遊ぶな。全く……」
他人との関わりを持つのが苦手だと、それなりの付き合いで把握はしていた。だからだろうか。ひょっとして彼女の中で自分は――などと、幻想めいた感情を感じてしまう。
僅かな、それこそ誰かに対する『希望』なのかも知れない。寄ってくる女は皆が身勝手で、ノエルのような感情の動きはどう汲み取ってやれば良いのか逆に分からない。
「せ――先輩だから、その。私」
「……あまり気を持たせるような事を言うな。疲れているだろう? ほら、もう休め」
咎めてみたが何の効果も無かった。さわさわと撫で上げる身体のラインは控えめだが、形の良いヒップをすらりとした脚が支えていて全体的には悪くないと思う。まだ少ししこりの残る胸を軽く揉み、指先で弄びながらその首筋に舌を這わせる。
すんすんと匂いを嗅ぎながら、髪から覗く耳元まで辿ってく。ぼそぼそと鼓膜に吹き込んでやると、びくりと肩口が震えた。頬を染めながら呼吸を荒げるノエルを横目に、その日はベッドに入るよう促した。
「……いま、何時だ」
「もうじきお昼になりますよ」
「済まない、寝すぎた」
街はところどころ寝静まっており、昼夜が逆転した生活だ。ひと段落してシャワーを浴びさせると、彼女はジンが渡したシャツに着替えて戻ってきた。仕方が無いとはいえ、やはり目に優しくない。ランドリーをまわすと、それに着ていた服を投げ入れて身支度を済ませる。
「……はー」
さああぁと静かに流れるお湯に混じる白濁。処理しておかないと、と何処か脅迫めいた感情さえ湧く。何故、自分はこんな真似をしているのだろう。理解に苦しむ。
別段溜まっている訳ではないが、もしかして欲求が不満なのだろうか。ちょっと毛色が違うものを愛でたいだけだろう、とは思うのだが。雑にシャンプーを済ませると、ふとコンディショナーの入った容器に目が行く。
来客用に用意しているだけだから中身は一向に減らないが、彼女はこれを使ったのだろうかと考え――何だか恋人同士みたいで柄にも無く自然と表情が緩んだ。
「わ……! すごい人ですね」
利用客でごった返した魔操船の発着場。夜の華やかさとは違った活気の良さに、彼女は感嘆の息を洩らしていた。目当ての乗り場は確か七番ポートだっただろうか。そこまで送ってやるものの、何だか離れがたくなる。
頬に触れるだけのキスを貰うと、だんだんと気恥ずかしくなってく。さっと身体を離すと、ノエルは悪戯が成功したような表情で笑った。船が見えなくなるまで見送ると、それからゆっくりと踵を返す。
そう言えば牛乳が切れていたか。ふと思い出して最寄りのコンビニに寄る。バイク雑誌の新刊に手を伸ばすと、それを遮るようにピピッと着信音が鳴った。
『先輩、ちゃんと眠れましたか?』
『いや……。僕の事よりもお前はどうなんだ』
『ぐっすりでした』
――また会えますか?
その言葉に返事を打つのを躊躇してしまう。たった四文字だ、簡単じゃないか。何を躊躇う必要があるのだろう? しばし経って返信を済ませ、そそくさと連絡ツールを閉じた。
家主が帰った部屋はいつも通りに無味乾燥というか、どこか味気ない気がする。昨晩はあんなに色づいていたと言うのに。買ってきた牛乳と玉子を冷蔵庫にしまうと、ジンは欠伸を噛みながら簡単な朝食作りに取りかかった。