Accept 05




 それはジンがニコイチの客を送りに店先まで出た時だ。
 客足もいい感じに途絶えて、これで一息つけそうだという矢先である。それを見事なまでに壊したのは旧知の男だった。暗がりに溶けるような黒髪に、派手な色味のシャツ。少し若作りが過ぎないかと思いながら、無視するわけにもいかず。

「イズモの清酒ならあるぞ」
「んじゃ、お前の奢りだな」

 そんな軽口を叩きつつ、ボックス席にどっかりと落ち着いた大柄の男。その変わらない所作に何だか安心して、口元に浮かんだのは笑みだった。
 見知った男に用意したのはイズモ地方の清酒で、すっきりとした辛口。日頃から口にしている飲み口に近く、ストレートで楽しむのが通だろうか。

「どんな心境の変化だよ。だってお前、あれだけ毛嫌いしてたじゃん」
「本音と建前が違うなど良くある事だろう。違うか? カグラ」
「まっ、そりゃ言えてるわ。でもなァ」

 溜め息混じりに続けられた言葉は順当と言うべきか。出来れば聞きたくなかったという訳でも無いが、つい複雑な顔をしてしまう。

「まァ……何だ。身の振り方には気をつけろよ? せっかく見逃してやったんだからよ」

 そう言われても仕方のない話しだった。追いかけてくる人間など知れている。ムツキ家当主の彼が働きかければ、キサラギ家もここまでジンを酷く扱う事も無かったはずだ。仮にも『イカルガの英雄』――まったく功を立てていない訳では無いのだから。

「そうだな。感謝する、カグラ」
「うぉっ! バカやろ、こぼしちまったじゃねぇか」

 わざとらしく派手にこぼされた清酒を拭きながら、ジンは素直に礼を述べていた。謝罪がわりにもう一杯注ぐと、店の看板を下げに軒先へと出て行った。
 カツ、カツと聞き慣れた歩幅の靴音。すっと顔を上げると、そこにはノエルがいた。約束の週末にはまだ少し早い。明日も明日で、彼女は早いはずだが。

「ノエル?」

 ぼろっと零れ落ちたのは涙だった。ぽろぽろと伝い落ちて止まる気配が見られない。よほど消耗しているのだろうか、その足下はおぼつかない。そんな身体を支えてやると、ノエルは安心したみたいだった。
 しかし、彼女の表情は冴えない。ふにゃっと力なく笑う。その様子に誰かの目は誤魔化せるかも知れないが、ジンの目は誤魔化せない。何か言い出しにくいような事でもあったのだろうか?

「その……ええと。ツバキが今度、先輩に会いたいって」
「……そうか。だが、僕は会わないからな」
「どうしてですか? ツバキだって心配して」
「意味が無いからだ」

 言葉の意味を図りかねているみたいだった。それもそうかと思いながら、元気でいる旨だけは伝えるよう頼んだ。部屋の鍵を渡すとノエルは嬉しそうに、でも何処か悲しげに笑った。やっぱり何かあったのだろう。自分に言うのを躊躇うような――例えばツバキと何かあったとか?
 そこまで考えるには、まだ少しばかりパーツが足りないか。要観察かも知れない。何処か悶々としながら店に戻ると、それまで呑んでいたカグラはいびきをかきながら転寝していた。それを叩き起こすと、今夜は少し早めに帰宅する事にした。
 ジンが部屋に帰ると、そこは真っ暗だった。先に帰しておいたのに、と首を傾ぐ。ソファーに寝転がっているかと思ったがいない。ベッドに行っても、彼女は居なくて。すると遠くからバタンッとドアが開閉される音。それは浴室の方からだった。

「先輩、おかえりなさい」

 ジンを見つけた彼女はまた無理に笑おうとする。それを見た瞬間、きゅぅっと胸の奥が痛んだ。何がノエルにそんな表情をさせるのだろう。分からないが、抱き締めずにはいられなかった。

「僕では頼りないか?」
「そんな事……、ありませんけど」

 そう思っていないのに、頼ることを躊躇する。理由を聞き出すにしても、どのように取っ掛かりを作ればいいか。一通り考えてはみたが、適切な言葉が見つからない。

「好きだ、ノエル。だから……そんな顔をするな」
「……! 私も、好き……です」

 言葉にしてみると、なかなか恥ずかしい。カアッと紅くなった頬に、ジンは視線をそらす。その様子を見ていたノエルは意外そうに笑って。笑うなと制してみたが、一向にそれは止まらない。手狭なベッドに二人でもぐりこむ。寝息が聞こえ出すまでに、さして時間はかからなかった。