Accept 07




 目覚まし時計の音よりも、繰り返される着信音に起こされた。
 ジンは端末に手を伸ばし、何とか声を絞る。電話の相手はカグラで、詰め寄るツバキに居場所を吐いた、との事だった。日頃は大人しい彼女だが、こういう時の行動力は一体どこから来るのだろう。冷静さに欠いたままでは、まるで話しにならないじゃないか。
 欠伸混じりにベッドから抜け出すと、朝食が先かシャワーが先か迷う。ノエルが来ている事を考えれば朝食が先だろう。

「先輩、あの」
「大丈夫だ。問題ない」

 ガラッと冷蔵庫を開けて、ベーコンと玉子を取り出す。フライパンをあたためつつ、ケトルでお湯を沸かす。玉子を割り落とせば、じゅーっと音をたてて固まる白身。カリカリに焼けたベーコンと気持ち程度のサラダを用意していれば、タイミングを見たかのようにチンッと焼きあがったトースト。
 手際よく用意はしたが、こんなに気の重い朝食になるとは思わなかった。珈琲でなんとか流し込むと朝刊に視線を落とす。

「ツバキとは幼馴染みなんですよね。先輩って」
「僕の中では妹、みたいな。それ以上でも、それ以下でも――」

 言いかけた言葉は、ピンポーンと鳴ったチャイムと共に飲み込まれた。新聞を閉じると、肩を竦めながら玄関に向かう。鍵をまわすと僅かにドアを開ける。
 そこに立っていたのは件の少女であるツバキだった。実に彼女らしいと言うべきか、旧知の男を訪ねるにも礼節を弁えていると言うべきか。生家であるヤヨイ家に寄っていたのだろう、微かに懐かしい匂いがした。

「ジン兄様はこのような所で生活されるような方ではありません。どうか機構に、いえ。キサラギ家にお戻りください」
「断る」
「何故ですか? 私の知っているジン兄様は、ジン兄様は……!」

 曇りのない空色の瞳がきつく閉じられる。まるで今のジンのあり方を否定するかのようだった。事実、彼女としては受け入れがたいだろうと思う。必死に縋るようなツバキに、冷たく返すことしか出来ない。

「僕もお前も子供じゃないんだ。いつまでもそのままでは居られないだろう?」
「そんなの、そんなの……っ」

 この期に及んで譲らない様子の彼女に、ジンは呆れ返ってしまう。正直、此処まで柔軟性に欠けるとは思わなかった。融通が利かない所もその真面目さゆえだと思っていた。
 けれど、こうなってくると末期的と言うか、見ている世界が狭すぎる気がする。これ以上は平行線でしかない。問答するだけ無駄である。無言でドアを閉めた。それはジンからの拒絶を示していた。
 幼い彼女の手本となるべくあの頃は何でもこなしてきた。兄として自分の意見を殺したりもした。せっかく出来た居場所を無くさないよう、とにかく必死だった。
 ソファーに背を預け、ゆっくりと座り込む。これで良いのだ。これ以外はやりようが無い。あれ以上言葉を交わしたら、きっと不必要に傷つけてしまう。

「先輩、ちょっとだけ外の空気、吸いに行きませんか?」
「そう……だな」

 小さく呟きながら俯く。窓の外を見れば、すでに太陽は昇りきり出かけるにも丁度良さそうだ。中心地から少し歩けば喫茶店には困らない。シャワーを済ませると、ミズハに繰り出す準備に取り掛かる。
 そうと決まればノエルは髪を乾かして櫛を入れ、それを纏め上げると銀のバレッタで留める。白のカフスシャツに袖を通し、ロング丈のスカートをジンの歩幅に合わせて翻す。

「あ……、可愛い」

 雑貨屋の前を通りすがった時だった。彼女は軒先のショーウィンドウを覗き、見てと促すようにジンの袖を引っ張った。そこに並んでいたのはアンティーク調のジュエリーボックスだった。青い薔薇の装飾が取っ手の役割りをした、丸みのあるシルエットをしている。その様子を見ていたのだろうか、店主をしている老婆は皺のある顔を綻ばせた。ラッピングしてもらいながら、二言三言交わすとノエルの元へ戻る。

「ほら」
「え、良いんですか?」
「ああ」

 嬉しそうに表情を明るめた彼女は、頬を染めながら見上げてくる。
 その表情が見れただけで、ジンは満足だった。彼女の手を取ると、指先を絡めて繋ぐ。歩調を合わせて、夕暮れに建つビルへ向かって歩いた。

「店に来てみるか? 一人で居るよりはマシだろう」
「行きます! やったぁ」

 彼の言葉にノエルは即答する。どんな風に接客しているか大変興味があったからだ。わくわくしながら玄関先で彼を待つ。足音と一緒にふわ、と柑橘系の匂いがした。それを嗅いだ瞬間、ああ彼の匂いだなぁ……と感じた。じく、と身体の芯が疼く。
 笑顔で接客しているジンの様子を見つめながらグラスを傾けた。彩りに剥かれた黄色いレモンが沈む、中を満たす赤い炭酸を飲み干す。ノンアルコールとはいえ、シロップの甘味に混じって少しの辛味が尾をひく。静かに夜は更けていって、気づけば閉店時間だった。