第八章 呪縛を解いて
手頃な宿に落ち着くと、荷物を置くのもそこそこに抱きしめられる。すんすんと匂いを嗅がれるたび、シエルは恥ずかしそうに身をよじった。廊下から他の旅客たちの話し声や物音がする。これから朝が始まって、彼らもこの首都を観光するのだろうか。
それから昼近くまで寝入ると身支度を整えて二人はプリュスの街を歩いてまわる。大通りの絶えない喧騒や、青空を飛ぶ風船を見上げる子供たち。路上で売っていたタルトレットを頬張りながら、のんびりと観光して歩いた。
次の日の朝には首都を離れ、聖王国でも奥まった東の辺境へと向かう。小さな屋敷を買い取ってあり、そこに根付くつもりでいるからだ。アズマにも近いその場所は、行商人たちが立ち寄る宿場でもある。
「お嬢ちゃんたち新婚かい。気をつけなよ」
「ありがとう、おじさん」
こうして普通にしているにもかかわらず、そのように見えてしまうものだろうか。新婚なのは事実であるが、どうにも気恥しさが勝る。小さくまとめた荷物を下ろしてもらいながら、それでも嬉しいのかシエルは無邪気に笑った。
「さ、行きましょ! ええと、その」
「どうした? シエル」
「その……行きましょ、セス」
「……! ああ、行くか」
遠ざかる蹄の音を見送れば、シエルはセスの腕を取った。そうしてもごもごと言い淀んでいると、彼は不思議そうに首を傾げる。
驚きに目を丸くしたセスは、嬉しそうに表情を緩めた。これから二人で、ささやかな生活が始まるのだ。夢にまで見た今日が、こうして現実になった。これほど嬉しい日は初めてかもしれない。
新居は聖王国からアズマ連合国へと抜ける途中、そのための宿場町である。町といってもどこかのどかさの残る、少し大きくて賑やかな村みたいなものだ。
帝国ほど長くじめじめと雨が降らないのはありがたいが、それでもいかんせん洗濯物は溜まる。そんな季節の移ろいに、仕方がないとはいえシエルは溜め息混じり。
そこには子供たちに読み書きを教える彼女と、村の細工職人を手伝う彼の姿があった。
初めでこそよそよそしくなってしまったが、明るく暖かな村の様子に自然と溶け込んでいったのだ。以前は軍に身を置き鍛錬を欠かさない生活だった癖が抜けず、セスに至っては村の自警団の青年たちを相手取っている始末である。
「ただいま。酷く降らなくて良かった」
「雨なのにまた鍛錬? 本当に変わらないのね」
「身体が重たくなる気がするから……その、ついな」
「貴方の『つい』で皆が音をあげてるのね? ちょっとは考えて」
「うっ…………済まん」
なかば呆れながらも叱るようにぴしゃりと言いきったシエル。手拭いをかかえて階段を登りかけ、何かを思い出したように降りてくる。セスにそのうちの一枚を差し出してやると、彼は拭いてくれと言いたげに甘えてくる。
そんな仕草ひとつ取ってもまるで大きな犬か子供みたいだ。かかえていた手拭いを置くとシエルはわしゃわしゃと拭いてやる。髪を拭きながら整えてやると、そのまま水気を吸った手拭いを首から掛けさせてしまう。さいわいにもずぶ濡れでは無かったが、油断したら風邪をひいてしまうかもしれない。
着替えてくることを勧めようとして、彼が小脇にラッピングされた箱をかかえていることに気づく。雨のなかを走ってきたにしてはあまり濡れていない。そのことから濡れたら困る何か……と推察してみたけれど、答えは出ないままである。
「ね、ね。あなた、その箱どうしたの?」
「む……これは、その……お前にだな」
「私に? いいの?」
何度も確認を取ったシエルは、はやる気持ちを抑えながらラッピングをほどく。箱を開けて見るとそこにはガラス細工で造られた円形の小さな鏡台が入っていた。色とりどりに切り出されたガラスが散りばめられ、それはどこかステンドグラスを思い起こさせる。
聖王女に求婚した男も鏡を贈ったものでなあ、婆さんや。
彼女の好きな細工を施したものじゃったと言うのお、ふぉっふぉっふぉ。
ふと近所での井戸端会議を思い出す。聖王国では求婚するときに鏡を贈るものらしい。古い言い伝えに倣ってのことらしいが、どうして彼が? いいや、そもそも書類の上では結婚しているのだ。なにも今更、こんな形にこだわらなくとも……と思うけれども。
「その、何だ。こちらでは鏡を贈るものだと聞いたから…………青の色を程よく出すのに難儀した」
「わざわざ細工からやってくれたの? ……村に来たばかりの頃と比べたら見事なものね」
どこからどう見ても仲睦まじいのに求婚していない。その事実に痺れを切らした周囲に上手く踊らされているのだと、この男は気づいている。そういった思惑に気づいたうえで、そのようにするのが最善だと気づいた。以前から考えれば大きな前進と捉えるべきだろうが、なぜだか素直に喜べない。
けれども、彼が自由にできる少ない時間と手間とをかけてくれた鏡を受け取らない女などいるのだろうか? 自問してみたが答えは分かりきったもので、シエルは大切そうに鏡台を抱きしめた。
そろそろ寝ましょ。そうは言ってもなかなか寝つけなかった。気持ちが落ちつかなくて、今日一日ふわふわしたみたいな心持ちだった。それだけ改めて求婚されたのが嬉しかったのだとシエルは知った。
隣りで寝息をたてているはずの大きな気配を探っていると、それがびくりと揺れた。聴こえてきた低い唸りに、うなされているのだと気づく。慌てて身を起こすと、セスに手を伸ばして肩口を揺すって起こしてやる。
「あなた、大丈夫…………?」
「夢――か。情けないな」
「そんなこと」
「気休めならいいんだ。分かってる」
そんなことない。言いかけた言葉を当てられ、シエルは何も言えなくなってしまう。それを気休めだと理解しているのであれば、なおのことだ。根本的な解決が必要なのだろうとは思うが、いったいどうするのが最善なのだろう。
あれこれと考えていると表情が渋くなるどころか、眉間に皺が刻まれてくる。そんな些細なところも似てきたのだと思えば微笑ましいが、彼の思っているところに皆目見当がつかないことの方が悔しい。
「お前までそんな顔をするな。僕がいつも難しそうな顔してるみたいじゃないか」
「私から見たらセスはいつもこんな調子よ」
ぷく、と頬を膨らませて顔を背ける。何気ない仕草が似てきた嬉しさよりも、見当がつかないことの方がずっと許せない。そんな自分が不甲斐なくてシエルは枕に顔を埋めようとした。――その時だった。
「あの男にできて僕にできないこと。色々と考えてみたが、結局分からずじまいだな」
ぽつりと洩らされた一言がシエルの心を静かに抉ることになるのだと、誰が思っただろう。どこか寂しげな声音に引っぱられるようにセスの表情を視界に入れると、その表情は苦しげに歪む。その顔にざわざわと心が波うって、何がそんな表情をさせるのかと今にも問いただしたいくらいだ。
いつかの記憶が彼にそんな顔をさせているのだろう。カイン伯爵とを比べて、その差が明確になる瞬間……。そこまで考えて、もしかしたらと行きあたったひとつの事柄。それが彼のなかで傷になっているのだろうか?
「シエル、訊いてもいいか。お前は、あの男に何を望んでいたんだ? 僕じゃ、駄目なのか……?」
「……っ! それは……あなたが望むのなら話すけど……笑ったり、しない?」
「僕にとっては重要なことだ。どんなものであれ笑ったりするものか」
きっぱりと言いきる彼に、シエルはぎゅうっと抱きつく。こういう時の彼は信用できる。昔から、変なところで真面目だから――笑ったりなどしない。とはいえ、そもそもの理由を知ったら、呆れるかもしれないけれど。
「あなたとナハト兄さんに、父親らしいことしてあげて欲しいって。だって、私やカノンにはとてもよく優しくしてくださるのに……あなたたちにはちっともなんだもの」
「まさか僕たちが帰るたびに座学だ、剣だとあの男が言いだしたのはお前が……?」
「そうよ。…………呆れた?」
ちらっと視線を流すとセスは軽くかぶりを振るって抱き返してきた。優しく髪を梳って飛び出た耳を撫で、そのまま首筋をたどる。物言いたげに彼の指先が執拗にそこを撫でた。
びくっと震えてシエルは身を離そうとする。だが、しっかりと抱きしめられてしまいそれは叶わない。赤くなった耳朶を甘く食まれると、無造作に性感に触れられて小さく声を洩らす。
「……ありがとう、シエル。そこまで身を賭してくれていたとは思わなかった。僕はこんなにも愛されて果報者だ」
「あなたったら大袈裟よ……もう」
啄ばむような口付けの合間、吐息混じりに猛った肉茎が擦りつけられる。ここまで硬く主張するそれで、そんな風に訴えられたら咎めるのも馬鹿らしくなってくる。ゴツリとした大きな手が身体のラインをたどり、それが腰で止まったかと思えば焦れったく撫でまわす。
「んっ……くすぐったいわ……」
細い腰が小さく揺れて、スカートとペチコートだけが覆う脚を少しだけ誘うように開いた。下になったセスに覆いかぶさるように手をついたシエルは、腰を覆う布が取り払われるのを感じる。
恥丘や恥裂の縦溝があらわになり、いきり勃った肉の先端が擦りつけられた。慣らしもせずに押し入ってくるかすかな苦しささえも、そう待たずに甘美なものへと変わる。
「ふ、ん……ぁふ……っ! はやく、奥まで」
「ん……分かってる。そんなに奥が好きなのか」
よほど我慢できなかったのだろう、それでもセスは根気よく亀頭だけを浅く抜き差しする。その緩慢な動作に焦がれたように、シエルはきゅんっと締め付けるのを止められない。じゅくりじゅくりと濡れていくのが分かる。
根元まで咥えて、奥の奥までたっぷりと味わって欲しい。
そんな願いが通じたのだろうか、そろりそろりと先端が進められる。コツッ……と軽く子宮口をノックして、最奥まで到達したことを身体に伝える。すると、狭い胎内が悦びに騒いでみっちりと絡みつくのだった。
「ひぁ……! 止まらないの、ねえ……っ」
「ごめん、我慢できなくて……加減できない」
下から突き上げるようなセスの動きに合わせて自然と腰が揺れた。繰り返し肌同士がぶつかる音と、荒く乱れた呼吸だけが支配する。愛蜜で濡れた肉が擦れるたびに一段と息が荒くなり、互いに上り詰めることだけで思考がいっぱいになる。
愛してる。
愛してるの。
きゅうっと胎内を締めたり、震えるように肉茎が脈打ったり。全身で訴える。どんなに綺麗な言葉を並べるよりも、肌を重ねることが二人にとっては確かな事実だからだ。滑らかな柔肌に口づけ、そのまま小さく揺れる胸に吸いつく。硬く尖った乳首を弄びながら下腹部の奥を掻きまわすたび小さな肩が跳ねた。
「ふぁ……ぁああああ! すごい、気持ちいい」
「……僕も、気持ちいいよ」
どろどろと奥に精を吐き出されるたび、小さな身体は欲するようにうねる。その心地良さに恍惚としながらも、ピンポイントで一点を責めてくる動きに、シエルは震えながら蜜を迸《ほとば》しらせていた。ずるりと萎えた肉茎が引き抜かれる感覚さえも愛おしい。とろりと混ざりあったモノが痙攣する脚を伝ってシーツに染みてく。熱く熟れた結合が解けても、その体躯を離すことは無かった。