第三幕 調教師の甘言
「やあ、クロイツ少佐は居るかな? 少しばかり話しがしたい」
「……ああ。構わないぞ」
落ち着いた口調のアルトが靴音と一緒に響いて、その場に居合わせた誰もがそちらに視線を向ける。そこには見慣れた黒い燕尾のシルエットに腕章を留めた女の軍人が居たではないか。この国では珍しい黒髪をセミロング丈に伸ばし、気持ち程度に結ぶ。
その出立ちは間違いなく憲兵隊の人間であり、よく見知った顔だった。怜悧な翡翠の眼差しが真っ直ぐこの部屋の主である青年将校を見やる。清廉潔白な気風や無駄のない振る舞いといった様子から、彼女は『白百合様』などと呼ばれており、なにかと同性からの支持が厚い。こうして訪ねて来るのも、ずいぶんと久しぶりになる。
かねてよりセスが将校として身を置いている近衛師団は大まかに三つの隊に分かれていて、それぞれ近衛隊、司書隊、憲兵隊となっている。近衛隊は都市の防衛や機能維持などの保安を、司書隊は魔術の発展や魔導書の管理運用を、憲兵隊は貴族の取り締まりや調教師の管理などを主に受け持っているのだ。
「ま、待て。大尉が私に直接だと……? ずいぶんと久しい気がするが、変わりないようで安心した」
「ここ最近まで中立領の様子を視察していたものでな。今日はほら、この前の頼まれものを届けにきたんだよ」
ユニアから渡されたのは女の小指ほどの大きさをした銀製の細い筒。それを四つほど受け取ると、そのうちの一つを無造作にポケットへと突っ込む。魔術のストックを切らしていて、その精製を彼女に依頼していたのだと思い出す。武器を携帯できない場――たとえば宮廷に出向くときなどは、護身として持っておきたい品だ。
今さっきの銀筒や、魔術の補佐をする魔導書。それらは司書隊なら標準の兵装になる。魔導書の構築は謎も多く、近衛の司書であっても把握しきれていないのが現状だ。過去の文献を紐とけば何か、そうなってくると宮廷の扱いになってくるだろうか。
「いつも済まないな。今回はあの店の酒で手を打ってくれないか」
「良いのか? それは頑張ったかいがあるな。お前の奢りなのも充分に美味いぞ」
銀筒の中心で元素の塊が揺れる。小粒な宝石のようにも見えるそれは、淡く光をたたえて幻想的でもある。これは鉱山都市レイルで採掘される高純度のミスリル銀をもちいて魔術師が精製するものだ。その過程は個人で異なるようだが、著しく体力や気力を消耗するとは耳にしたことがある。
練りあげた術を銀の器に詰める。それは魔術や触媒を持ち歩くための唯一の方法になる。普段でこそ後方支援が主体の司書たちだが、魔術が扱えない状況下でも応戦できるようにと約ニ〇〇年ほど前に確立された技術だ。今では一般的に普及したのもあって、ごくごく初歩的な技術にあたる。
そんな初歩的な術でさえ、セスという男にはままならない。何故なら、触媒そのものに働きかけを促すことができない体質だからだ。この体質には困らせられることが多く、こういった些細なことでも誰かを頼らなければならない。
「とは言っても、また視察に出ねばならんのだがな。可能ならお前に監査の代理を頼みたいんだ。頼めるか?」
「どれも中央の管理か。構わないというのであれば引き継いでくれ」
その言葉を待っていたと言いたげに彼女から積まれたのは、調教師の仔細が記載された書類だった。このレムギアが抱えている調教師のなかでも曲者ぞろいと噂される中央管理局からの書面だ。パラパラと確かめるように流し見ていると、そのうちの一枚に走り書きのメモが残されている。
シエル=ヴァンベルグは十六で調教師になった好き者。要注意。
いかにもユニアが使いそうな情報の運び方だが、妹を相手にしても少し厳しすぎないかと思う。彼女はどういった理由か、ことさらシエルには厳しかった気がする。言葉選びに礼節ひとつ。どれを取っても記憶の中の同じ面差しをもつ女性とは似ても似つかない。血を分けた存在だからこそ、残った想い出に対してより頑なになっているのだろうか? その女性とはシエルたちの母で、まだ幼かったユニアは実の姉のように慕っていた。もちろん自分も彼女を慕っていたし、兄も多分そうだったのだろうと思う。
去りぎわになって、ふと思い出したように調教師の雇用についてアドバイスをされた。いったい何処からその情報を仕入れてくるのだろう。そんな疑問を感じながらも必要な書類に目を通していたが、結局「私が手配しておくよ」と手際の悪さを鼻で笑われてしまう青年であった。
社交界で噂になっていたシエルは、今年で十八くらいになったのだろうか。それでいて卓越した性技の持ち主で、是非ともその調教を受けたいという酔狂な男も居たくらいだ。再会した時こそ微塵も感じさせなかったが、冷静に考えれば名も知らぬ子供を買い取ってまで助けるところも、相変わらずと言うべきだろう。
高級宅地を北東寄りに歩いて行く。やがてセスが行きついたのは、煉瓦造りで漆喰が走るいかにもな風貌な洋館だった。テラスには純白のチェアとテーブル、それから薔薇でできた小さな生垣。どこか故郷の、ローデの屋敷を思い起こさせる。
「こちらへどうぞ。クロイツ様」
「……ああ。感謝する」
明かり取りから差し込む陽射しはどこも暖かく、開け放たれた大きな窓からはまだ緑の萌える匂いがする。このルブルムは都市部にしては自然が多い。木々の合間から覗く陽光を、緑の葉がキラキラと反射していて綺麗だ。メイドに先導されてセスが案内をされたのは執務室だった。
そこには屋敷の主人であるシエルがおり、榛色のロングヘアーが風を受けてさらりと揺れた。表情を覆うヴェールなどは無く、それでいて露わになるはずの首筋を襟布で楚々と隠している。それでありながら首元やコルセットの前面が革バンドで固定されているせいか、さながら拘束具でも着込んでいるかのような印象を受ける。実に変わった意匠のドレス姿であった。
「……シエル=ヴァンベルグで相違無いな? 定期監査だ」
「近衛の将校様が私にいったい何用なのかしら。あの子の様子を見に来たわけでも、黄薔薇への書状が欲しいわけでも無いでしょう? もしかして、欲求不満なのかしら」
細い肩口までもぴっちりと覆う革手袋に包まれた指先が優しく髪を梳る。その緩慢な動作とは裏腹に、双眸は爛々と危うい光を放っている。言いながら振り向いたシエルは深紅の瞳をスゥッと細め、まるでセスに値踏みをするかのような視線を投げてきた。冷めきった赤が真っすぐに男を見上げ、ぴたりとその心中を当ててみせる。
たかが貴族の小娘、所詮は道楽。心のどこかでそう侮っていたのかもしれない。調教師の少女が持つ可愛らしさと淫奔さの混ざり合った空気が、普段は理性でひた隠しにしている獣欲をあちらこちらとつついてくるのだ。もっともらしく話題に挙がったのは、レムギアでも屈指の娼館だった。貴隷揚がりの夫婦が切り盛りしているその館には、国中の薔薇小路を探しても見つからないような娘たちが身を寄せていると聞いたことがあるが……。
「黄薔薇の書状よりは、まだ貴様で良い」
「ふぅん? 所有している貴隷や、路肩の私娼のほうがまだ優しいかもしれないわよ」
そうシエルは言うが今まで鼻の鋭い私娼に引っかかることなくやってきたのだし、そこまで目に見えて飢えているということは無いはずだ。だからと言って一時の欲求のためだけに貴隷を飼うというのも、果たして満足できるものなのだろうかと思ってしまう。
まるで心の内を察したかのように、少女はクスッと意地悪く笑んだ。そうしてソファーに座った男にじゃれつこうと歩み寄る。ふわりとスカートが翻えるたび、その恥丘の稜線が浮かんでは消えた。静かにセスの隣りに落ち着くと、筋肉の乗った太腿をさわさわと触り反応を盗み見てくる。
「なら、もっと気を楽になさって。これから熱いベーゼを交わすのだから楽しみでしょう?」
「……ッ! やめ……気を楽にできる訳がないだろう? 貴様は馬鹿か」
「少し触っただけでこんなに硬くしているのだもの、んふふ。いかに剣帝と呼ばれる男であっても、女には無能なのね? 安心したわ」
愛玩動物でも可愛がるかのように頬を撫でてきて、見るからに柔らかそうな唇が迫ってくる。セスが軽く顔を背けると、その狙いは首筋へと流れていった。濡れた舌が喉元を這い、コクリと鳴った喉仏をしつこく食む。馬乗りになるようシエルに跨られて、その動きを止めようとしたセスの両腕は所在をなくす。明らかな侮蔑と嘲笑だったが、そんな仕草でさえも『らしい』と感じさせる。だからと言って女に罵倒されて悦ぶ趣味など、自覚している限りでは無いはずだが……。
彼女はすでに痛いくらいに硬く張った股間を撫であげ「せっかくだもの、将校様の剣さばきが見てみたいわ」などと耳元に吹き込んでくる。あまりに突飛でありながら意味深な言葉に、現状を顧みればワンテンポ遅れながらそういうことかと理解する。
「私のそれなど……」
「決めるのは私であって、貴方に拒否権など無いわ。それともなぁに、恥ずかしいのかしら」
この場の支配者は、絞めれば折れそうなほどか細い喉奥でくつくつと笑う。シエルの指先が触れるだけにとどまらず、それでいて青年には有無をも言わせないとばかりにズボンのフロントを広げた。自慰の経験がまったくないと言ったら大嘘だ。しかし、それを他者に見せるものなのだろうかと冷静に思考してしまう。そうありながらも一段と質量を増して首を擡げる姿に、うっとりと感嘆の息を洩らす少女。
セスが無言をとおす間にも服を乱す手は止まらず、ガッチリと鍛えて肉厚な筋肉で覆った胸元を遊ばれる。勃ってもいない乳首を舌先で丹念に舐め転がし、時折つんっと突いたり吸ったりと気まぐれに動く。むずむずと這い上がってくる感覚をやり過ごしていると、気づいた頃にはベルトで固定された腰元までもはだけさせられていた。その手ぎわの鮮やかさには舌を巻かざるをえない。
「ほら、きちんとできたらご褒美をあげるわ」
「…………良いだろう」
体重をかけてのしかかってくる彼女を受け止めながら、諦めの思いでひと呼吸おいた。それから見事に上向いている肉茎へと手を伸ばして握り込む。浅い息遣いを繰り返しながら、セスは見せつけるようにゆっくりと扱きたてる。ぬちゃぬちゃと鈴口から先走りが垂れ落ちるが、正直それだけでは足りない。物足りないのだ。
それを察したのか胸元から顔をあげたシエルの唇から、とろりと濃い唾液が垂らされる。まぶされた唾液を潤滑油がわりに絡めれば、否応なしに扱きあげる速度は増していく。ぽたり、ぽたりと混ざり合ったモノが絨毯を汚す。
「出さなくて良いわ。もう充分よ」
「なん、だと……? 何故だ……ッ」
上り詰めようとした寸前で止められてしまい、思わず青年将校は喉を震わせた。あともう少しで、なのに充分だと? 冗談じゃない!
調教師による気まぐれな思いつき。それが男にとって不服なのが目に見えていたのだろう、彼女の口端はニンマリと持ちあがっていった。そしてその唇が紡いだのは、意外にも甘言だった。
「もしかして気に入らないの? なら、お好きになさって構わないわ。こうして『きちんとできた』ことには変わりないもの」
それらしい言葉を吐きながら、手を伸ばせば届く距離で脱ぎ落されるスカート、ゆっくりとずり落とすように脱がれる漆黒のレースショーツ。次いで美しいヒップラインが姿を現したと思ったら、それは無遠慮に突き出されて、すりすりと誘うように動いた。なだらかな尻溝を濡れた恥丘に見立てて欲のままに擦りつける。だんだんと窄まりが緩んできて、セスが自身の切っ先を軽く押し込んだ途端、難なく呑み込んでいった。
ゆっくりと出し入れを繰り返して根本まで咥えさせ、腸粘膜を広げてはぬちゃりと奥を掻きまわす。彼女の生意気な口を封じるにはそれしかない。などと、もっともらしい理由を見つける青年。子宮の裏側を深く耕すたび、シエルは声を上げまいとしてカチカチと奥歯を鳴らしている。丹念に何度も行き来を繰り返していれば、やがてその細腰がびくりと大きく波打つ。搾り取るように絡みつく肉壁に、びゅくりびゅくりと熱い飛沫を余すことなく注ぎ込んでく。
「は、んんぅ……! んふ、たっぷり注いでくださって嬉しい」
とろりと目尻を垂らした彼女は、どことなく満足そうだった。しなやかな体躯を抱きしめると、セスは表情を隠して呟く。絞り出した言葉は「もう一度」と続きを求めるものだった。執務机に手をつかせて支えると、奥の奥まで穿つ。そのたびに小さく机が揺れて、互いの腰が揺れ続けるのをシルエット越しに見ていた。
シエル=ヴァンベルグ。その名をした少女に、たった一人だけ心当たりがある。けれども男が知る限りでは、こんなふうに淫らで嗜虐的な仕打ちを好むとは思えなかった。あの頃は恥じらってばかりで、それでいてお転婆だったと言うのに。
お兄さま。そう呼んで、まだ少年だった自分を慕ってくる。そのあどけない表情が綺麗な想い出すぎるのかもしれない。明るく微笑する様子は、小さく花が咲いたみたいだと思った。誰にでも等しくあろうとする姿がいじらしく、未熟だった独占欲を掻き立てたものだ。でも、彼女が望んで父の傍に居るのなら邪魔はできない。――そう、思っていた。
「また気をやりそうなのか? 良いぞ、ほら」
ずるりと萎えた肉茎を引き抜くと、尻を大きく割り開いて紅く綻んだ秘孔を覗き込む。ひくりひくりと呼吸に合わせて震えるさまに、指先を押し当てて埋める。掻き出すように動かせば、奥から濃い精液が溢れてきて、軽微な動きでさえも彼女は容易く絶頂してく。生唾を飲みながらセスがその表情を覗き見れば、シエルの瞳は自分だけを映している。言い知れぬ感情で満たされていくのを感じると、口角が無意識に持ちあがっていくのだった。
そんな蜜事があったことなどつゆ知らず。規定のベレー帽をかぶった少年は、気配を殺したまま執務室のドアを開ける。気配を殺すのは昔からの癖で、それは片割れである妹も同じだ。部屋のなかから漂ってきたのは、濃い牡の匂い。まるで誇示するような強烈さに眉を寄せると、込み上がってくる不快感を隠さずに問答無用で窓を開け放った。
屋敷の主人である妹のシエルは、ソファーで丸くなってすやすやと寝息をたてている。よほど体力的に消耗したのだろう、彼女の、妹の下肢は乱れたままで、事後処理だってできていない。その様子に内心で唇を噛んだ彼は、あくまで兄としてその肩を揺すり起こしてやる。
「駄目じゃないか。こんな格好で寝てたら」
「あ……お帰り、カノン。ごめんね、あれから寝ちゃってたみたいで」
足下に脱ぎ捨ててあるショーツが穿かれる。そのことを心の内では惜しみながらも、カノンはその隣りに腰を落ち着けた。シエルの言う『あれから』が今日のいつで、どこの男かは分からないが好き勝手に貪っていたのかと思うと、煮え湯を飲まされた心持ちになる。
彼女はいつもこうだ。対価を得るためならとんと手段を選ばない。君の身体は特別なんだと言って聞かせても、いや、それを知ったからこその手段とは思うけれども。あの男だってと思い出して、次第に鬱々とした気持ちになっていった。
今度の任務は想定よりも長期になりそうなのだ。国の首都を――正確にはシエルの傍を離れることになる。あの男が、カイン伯爵があらかじめ何かを仕掛けておくかもしれない。その可能性を考えだしたらキリがなく、途端に可愛らしい顔が渋ったるくなる。そんな兄の様子を見かねたシエルは、こつんと額をくっつける。
「今日ね、定期監査にセス様がお越しになられたわ」
「……本当? まるっきり管轄外じゃないか」
近衛の青年将校が、調教師の定期監査に訪れた。その話しが事実なら、管理局や憲兵隊の代理だろう。あの青年に限って管理局に伝手があるとは到底思えないし……。そこまで考え至って、憲兵隊なら姉が在籍していることを思い出す。
急に黙り込んで唸った様子に、シエルは「どうしたの?」と、言葉少なにだが心底気になると言いたそうな気配を隠さない。その言葉に引き上げられるように、カノンは思考を整理しながら「ああ、いや」と歯切れ悪く返した。
「姉上なりの伯爵除けかな、なんて。僕もだけれど、また遠くに行かれるみたいだから」
伯爵除け。言いながら酷く真面目な顔をした兄に、妹は肩を揺らして笑った。お守りと称して敬遠している息子を宛がうなど、効率的とはいえとても趣味が悪いと思うのだ。それが、姉にできるだろう唯一の防護策だとしてもである。余計に父子の溝が深まるじゃないか、と思うけれども。
「それで顔を見せに来てくれたのね。今度はどこまで行くの?」
「聖王国の首都だよ。そうだ、君が好きそうなお土産、買ってこようか?」
「良いわよ。もう子供じゃないのだし」
言葉を返しながらシエルはスカートを上げ、身なりを完全に整える。彼女がカイン伯爵に『取り引き』と称して肉体関係を持ちかけたのはいつからだったか。尻で達することを覚えて、それから女になるまでの数年。決まって彼ら、セスとナハトが帰郷してくる時節には、魔術による結界と妨害の陣が敷かれた隠し部屋で話していたものだった。
あの夜だって肉椅子に腰を下ろし、座学を教えてもらう予定だった。そのあと約束の場所に向かって、中央領に戻る予定のセスを見送るつもりでいた。予定は最初から台無しで、それでも祈るような思いで教会へと走った。見送りには間に合わず、利害が一致したナハトに連れ出してもらい、娼婦として身を隠していた。
ローデに残されたカノンは一時でこそ荒んでいたようだったが、軍学校を主席で卒業していた。シエルにまつわる一件以降、カイン伯爵との折り合いが極めて悪くなったこともあり、以前から進んでいた養子縁組の話しは白紙になったと聞いた。彼が司書を目指したのは、やっぱり報復のためだろうか? そうなって然るべきだと宥めても、当時を思い出せば腸が煮えて仕方がないのだろう。
「あ、カノン。お夕飯は?」
「食べてきちゃった。本当は君の手料理が良かったんだけど」
照れくさそうに頬を掻いた兄からは、かすかに女物の香水の匂いがした。彼はいつだって誰とは言わないが、ほんのりとした残り香はこの部屋では目立つものだ。シエルはあえて何も訊かず、ただ「女の子泣かせになったのね」と茶化しながら夕暮れの窓辺に立った。
穏やかに晴れた翌日。
監査の名目で青年将校が連日訪ねてきたことに、貴隷の娘たちはきゃっきゃと黄色い声をあげてはしゃいだ。そんな様子を「はしたないわよ」と女主人に窘められても、なお止まらない。むしろ波及していく。あまりの盛況ぶりにセスは何も言えず、つい眉間に皺が寄ってしまった。すると、それこそ見るに堪えないと言いたげにシエルの指先が触れ、さすさすと優しくさすった。幼い頃と変わらない仕草に、どこか胸を撫で下ろす自分がいる。そっと離れていった彼女は、チリンと手元の鈴を鳴らした。
「アインツ、彼に薬品棚を見せて差しあげて」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
貴隷たちもそうだが、あの時に助けた子供も体調面に問題は無さそうだった。衛生面も問題なくクリアだ。あとは違法薬物が無いかを確認するだけだ。小間使いに案内されながら、並んだ棚を順番に見てまわる。アインツからひとつひとつ丁寧に説明を受けながら、ふとセスの目が留まったのはやけに量が少ない無色透明の薬品だった。腸内の浄化剤や恥毛を除去する脱毛剤――そのどれもとは違った様相に、なんだかとても興味が惹かれた。
「それは貴隷の懲罰などに使われるそうですよ。俺も詳しくはないのですが」
「……そうか。この家紋と印は正規品だな。問題ないだろう」
最後の棚のチェックを終えると、セスは気乗りしないながらも貴族たちに混じって調教風景を眺めていた。調教中の貴隷はシエルより少し幼いくらいだろうか。その唇に収めるには凶悪すぎる肉塊がすでに用意されている。調教用に訓練された専用の肉棹ということもあり、彼らは棹男などと呼ばれていた。その顔の半分を仮面で覆っているため表情は窺えないが、この制度や風習を肯定する部類であることには変わりないだろう。今日は口淫のやり方を教えていたようで、終盤には『お恵み』と称して貴族たちの肉茎が一斉に向けられ、無残にも白濁まみれになっていた。
「あのお方、またお越しになってますね」
「ベルが気になるのではないかしら」
「えっ! シエル様でなく、ですか……?」
ついさっきまで白濁に沈んでいた少女は、青年の姿に気づいたようだった。彼女は確か……と、慌てて資料をめくる。この資料と見立てに間違いが無ければ、フランソワ子爵の令嬢だ。子爵の没落ぶりは何度か耳にしたことがあったが、まさか年頃の一人娘を差し出すほどとは。結ばれた三つ編みが、まだどこか垢抜けない印象を感じさせた。
気兼ねなく名前で呼ばれたベルは、不思議そうに女主人を見やった。それから意味深に青年を視界に収めると、真っ赤になって俯いてしまった。綺麗な蜂蜜色の髪を揺らしながら「でも」と口ごもり、何かを言いたそうにもごもごしている。やがて意を決したのか、二人を視界に入れなおすと慎重に言葉を選んでいる。
「わ、私! その……見ちゃったんです。執務室で、その……シエル様と、あの……」
ちらっと群青色の瞳が男を見上げて、さらに耳まで赤くなると表情を覆った。そんなふうに初心な様子が不覚にもいじらしく、同時に微笑ましかった。セスはベルから視線を外すと口元を覆う。調教師と貴隷志願者はその身元を引き受けるさい、仮の主従契約を結ぶ。のちの飼い主となる貴族たちとの隔たれた関係や、自身の立場を染みつかせる目的もあるのだろう。同じ屋敷で過ごしながらも、つまるところは商品だ。
貴隷を志す者はどこか薄暗いものがあり、主人ももっと冷めたものだと思っていた。二人は仮にも主人と貴隷であるにもかかわらず、どこか友達がじゃれあうような雰囲気だった。調教を施している時のシエルは、その一切を排している。今見せているような微笑など、久しく見ていない。
「そのことを他言しては駄目よ。分かるわね?」
「……ひっ! わ、わかりました……!」
カタカタと小さく震える貴隷の少女に、女主人は釘を刺して言い聞かせる。詳細は分からないが、あまりの怯えように見ているのが気の毒になってきた。だからといって迂闊に助け船を出して失敗するのも大事である。そうしているうちに完全に機会を逃してしまうのだった。
じゃれあいを終えると、シエルは勉強会と称してセスの腕を引き、ベルを伴って夜会へと赴いた。会場では今日も音楽が奏でられ、これでもかと贅が尽くされている。貴婦人と区別すべく首枷をしたベルは、同じく貴隷の少年と懐かしそうにダンスに興じていた。気が向いたシエルもセスを誘ってダンスに興じていたが、相変わらず上手く踊れない。ステップだけで構成されているにもかかわらず、いつも同じところで躓づくのだ。勢いあまって身を預けてきた少女を軽く抱き留めると、青年の視点は一点に固定される。
「珍しいのね、あなたが夜会に顔を出すなんて」
「……お前こそ顔を出していたとはな」
ダンスを終えて談笑がてら少量のワインを口にしていると、シエルの元に見慣れない淑女が歩み寄ってきた。小声で「彼らと同じものを」と言葉にするや差し出されたグラスに手を伸ばし、セスを狙って容赦なく中身がぶちまけられた。しかし、何かを察知した彼が半歩ほど下がる。するとグラスから飛び散ったワインはぶつかるアテを無くし、不運にもばしゃりとシエルにかかってしまったではないか。
この有り様には、さすがの少女も感情を動かした。引きつった笑みを貼りつけて、とぽとぽと火に油を注ぎ込んでく。これは確かにお気に入りのドレスではあるが、それを汚されたことに立腹しているのではない。単純に、恥をかかせる方法を間違っているから怒っているのだ。
妻に逃げられるどころか、彼としてはまったく歯牙にかけていないじゃないか。所詮は形式だけの関係だと見て取れた。下級貴族の娘だろうとは思うが、うまく乗せられたに違いない。それを踏まえると、第一夫人という立場に固執するのも憐れに思えてくる。
「ずいぶんと狭量なのね? それでは彼が可哀想だわ、相手にされていない自覚もないの? おめでたいこと」
「言わせておけば……! 調教師風情が、誰にそんな口をッ」
少しの風が煽り立てただけだというのに、カッと怒りに顔が紅潮した湧きあがる感情のまま、その手が振りあげられる。シエルは襲ってくるだろう痛みに目を閉じたが、一向にそれはやってこない。不思議に思いながら、ゆっくりと瞼を開けてみた。すると、振りあげられた腕がそのまま、何者かの魔術の糸で固定されてしまっているではないか。
「こんなところで子猫たちが縄張り争いかよ。ほどほどにして欲しいもんだな」
「ナハト様! あれ以来ね、無沙汰しているわ」
「よお、久しぶりだな。相変わらずで安心したが……あんまりおイタするなよ」
底抜けに明るい軽口と、形だけの警鐘が聞こえてきた。どこを取っても胡散臭い振る舞いに、シエルは立てようとした爪を黙って引っ込めた。それを確認すると、女の動きを縛っていた魔術の糸は消失する。淑女はそれを振り払うと、居心地が悪そうに別のテーブルに移ってく。何事かと騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきたベルに、無事であることを伝えると先に屋敷へ帰してやる。会場を出たシエルたちは、次の馬車に乗り久方ぶりの再会を楽しむ。互いに近況を話し合い、どちらも変わりない様子に安堵した。
話している二人の様子を見ていて思ったのだが、兄と話しているときの彼女はよく笑うことに気づいた。自分と話しているときとは大違いというか。その微妙な違いがセスには上手く言葉にならない。ついつい黙りこくっていると、話題の中心に持ってこられたことに、話題を振られてから気づく始末だ。
「だから、お前はロクに嫁の手綱も握れねーのかってさ。お兄ちゃん情けねぇわ」
「それに関しては、その……済まない。まさか……んぐっ」
言葉を紡ごうとして唇を開いた途端、問答無用だと言いたげにシエルの指先が口内へと突っ込まれる。無意識に逃がした舌先を捕らえ、まるで叱るように痛みを与えながらつまんでくる。次第に口腔に溜まりだした唾液。だらしなく口端から垂れ落ちると、ニマニマと笑った彼女はそれを舐めあげながら、青年の胸元から伸びるを手綱か何かのように引いた。
その動作に沿うように半身を屈めると、先ほどワインのかかったスカートに鼻先を押しつけられる。恐る恐るだがちろりと舌を這わせれば、引かれた飾緒はぱっと放された。彼女は今の現状に満足している。そう解釈すると、ドレスからわずかに覗く素肌の領域を丹念に舐ぶりはじめる。
「そうそう、いい子は好きよ。利発な子もね」
肩口まで覆っている革手袋を脱がし、すらりと伸びる細腕を、綺麗に整えられた爪先まで口づける。それからスカート越しに太腿を撫でまわし、ゆっくりと脱がれたヒールのつま先までたどり、ちゅっと小さく音をたてた。ぼんやりとした頭の片隅で、ここは馬車のなかで、しかもあの兄の眼前だったと思い出す。そんな弟の内心を察したかのように、ナハトからはひゅーっと口笛が吹かれる。このうえなく煽られた羞恥心に、倒錯的に酔っていた心地よさも吹き飛ぶ。それを見越したシエルの膝が、タイツに包まれた足先が、厭らしく股間を撫でた。
「ぅあ……! 待て、こんなところで盛るな……ッ」
「少しばかり無理な相談だわ。ねえ? ナハト様」
よりにもよって彼女は傍観者に意見を求めはじめた。兄の答えなど訊ねるまでもないと思うが、モノクル越しに少女を見たナハトはニッコリ笑って「構わねーよ」と返した。何がそんなに、その右眼で一体どんな未来を視ているのだろう?
そうやってセスが気をそらしていることに勘づいたシエルから、無慈悲にも再開される刺激の数々。止まっていた動作がはじまった。それだけで嫌でもガチガチに硬くなっていくのが分かる。ジッ……と中途半端に下げられたジッパー。その重みを支えきれなくなって金具が下がりきると、顔を出すのは見事に屹立して上向いた肉茎。
「なぁに、見られて興奮するの? それともぞんざいに扱われるのがお好きなのかしら。んふふ」
ふぅっと耳元に息を吹きかけられたかと思えば、さわさわと両足のつま先が動く。添えられた短い十指が肉棹を扱くように動き出して、セスは内心で器用なものだと感心さえする。どろどろと溢れる先走りが唾液以上に濃い牡の匂いをさせた。じわりとタイツにシミを作りながら、シュッシュッと何度も上下する。その速度が増すたびに濡れたタイツ生地が敏感な肉茎を包み込むような感覚に陥り、その吸いつかれるような感覚の気持ちよさに、つい腰を振りそうになってしまう。馬車が大きく揺れるのに合わせて腰を跳ねさせた。それさえも見越しているかのように、しつこく亀頭を弄られ続ける。
限界が近いのかじわりと精液が滲み出て、雑な強さで扱われた途端に呆気なく吐き出してしまう。まるで堪え性のない様子をシエルはせせら笑い「はしたない子。汚れたわ」と白濁に塗れた足先を差し出す。ぴちゃぴちゃと後始末をはじめれば、満足そうな色を浮かべながらセスの髪を褒めるように撫でて梳った。
「まだ許してないわよ。……さ、これから乗りこなしてあげる」
「な……っ! も、いいじゃないか……!」
男に跨った少女は、煩わしそうに下着を脱いだ。蜜のしたたる縦溝を菱形に割り開き、ぬぷりとその肉を咥え込んだ。セスだけでなくナハトまでも、まざまざとその様子を見せつけられる。最初は浅く、腰の動きに合わせて次第に深く。シエルの息遣いに合わせて肉壁が蠕動し、律動が本格的なものに変わると、奥からこぽりと蜜が掻き出される。コリッと何度も子宮口を押しつけられるたび、その感覚や与えられる快感は大きくなっていく。腰の動きひとつで男のすべてを握り、言葉どおりに乗りこなしている。まるで馬の腹に脚扶助を入れるように、太腿が横腹に添えられる。ゆっくりと握られる飾緒。これでは本当に馬と、その手綱じゃないか。
「……なんだかモヤッとするわ」
「だろうなあ。よしよし、お兄ちゃんが助けてあげよう」
不満を示すように、乗りこなしているセスの上から降りない。言われるまでもなく視姦に徹していたナハトに、ぼそりと本音をこぼす。少女のそんな姿に何かを思いついたのか、意味深に尻の丸みを指先でたどる。その何気ない仕草から何らかの意図を察したシエルは、そちらに尻を向ける。すると、ナハトは躊躇《ため》らうことなく下肢に顔を埋めた。じゅるりと愛蜜が吸われる音がして、あとは子猫がミルクでも舐め取るかのように舌先が動く。愛撫にも満たない緩慢な動きだが、過敏になっているシエルは小さく悶えながらセスに縋りつく。
両手が尻肉を支え、無毛の恥丘をさらに深く割った。嵌められた手袋の生地がしっとりと濡れ、熟れた胎内にもぐりこませれば、奥から何かを掻き出すようにまさぐる。余計な水分が吸われ、どろりと固まったように垂れ落ちてきたのは、混ざり合った精液と愛蜜。口内に溜まっていくそれを、ナハトはコクコクと飲み下していった。
「ナハト様のそういうところって変わらないわよね。……んっ」
「だって俺、セスに嫌われたくねーもん」
「素直に可愛いっておっしゃればいいのに。あ、ちょっと! もう、意地悪」
嫌われたくない、その言動とは裏腹の行為。口元を拭った兄の変態的な欲求を満たすために利用された気がして、なんだか素直になれない。彼女から離れるように促そうとして、セスは先ほどシエルが「意地悪」と言葉にした理由を知る。
彼女の柔らかな肌には、いくつかの鬱血した痕跡が散っている。当面の男除け……にしては数が多すぎるくらいだ。そこに微量の欲を感じると、次第に許せなくなってく。危険を察知して逃げようとするナハトを捕まえ、容赦なく物理的な制裁をくだすのだった。
「その関節はそっちに曲がら……痛っ! いつもお前ばっかりズルいんだよ! あー痛え」
「僕への咎めなのだから当然だろう? 第一、兄さんはいつもベタベタしてるじゃないか。この見境無しめ」
狭い馬車内で吠えあう男二人を微笑ましく見つめるシエルだったが、なかなか収まりのつかない様子には「そういうところは変わって欲しいくらいよ」と呆れながら交互に抱きついた。
対等な扱いであってもセスは納得がいかないのか、むすっとしながらすり寄ってくる。そんな表情が、大きな体躯が、愛おしいと昔から思っているのに。この感情をどう言葉にすれば伝わるのだろう? 分からない。分からないのだ。