第三章 調教師の甘言




「やあ、クロイツ少佐は居るかな? 少しばかり話しがしたい」
「……ああ。構わないぞ」

 落ち着いた口調のアルトが靴音と一緒に響いて、その場に居合わせた誰もがそちらに視線を向ける。そこには見慣れた黒い燕尾のシルエットに腕章を留めた女の軍人が居たではないか。この国では珍しい黒髪をセミロング丈に伸ばし、気持ち程度に結ぶ。
 その出立ちは間違いなく憲兵隊の人間であり、よく見知った顔だった。怜悧な翡翠の眼差しが真っ直ぐこの部屋の主である青年将校を見やる。清廉潔白な気風や無駄のない振る舞いといった様子から、彼女は『白百合様』などと呼ばれており、なにかと同性からの支持が厚い。こうして訪ねて来るのも、ずいぶんと久しぶりになる。
 かねてよりセスが将校として身を置いている近衛師団は大まかに三つの隊に分かれていて、それぞれ近衛隊、司書隊、憲兵隊となっている。近衛隊は都市の防衛や機能維持などの保安を、司書隊は魔術の発展や魔導書の管理運用を、憲兵隊は貴族の取り締まりや調教師の管理などを主に受け持っているのだ。

「ま、待て。大尉が私に直接だと……? ずいぶんと久しい気がするが、変わりないようで安心した」
「ここ最近まで中立領の様子を視察していたものでな。今日はほら、この前の頼まれものを届けにきたんだよ」

 ユニアから渡されたのは女の小指ほどの大きさをした銀製の細い筒。それを四つほど受け取ると、そのうちの一つを無造作にポケットへと突っ込む。魔術のストックを切らしていて、その精製を彼女に依頼していたのだと思い出す。武器を携帯できない場――たとえば宮廷に出向くときなどは、護身として持っておきたい品だ。
 今さっきの銀筒や、魔術の補佐をする魔導書。それらは司書隊なら標準の兵装になる。魔導書の構築は謎も多く、近衛の司書であっても把握しきれていないのが現状だ。過去の文献を紐とけば何か、そうなってくると宮廷の扱いになってくるだろうか。

「いつも済まないな。今回はあの店の酒で手を打ってくれないか」
「良いのか? それは頑張ったかいがあるな。お前の奢りなのも充分に美味いぞ」

 銀筒の中心で元素の塊が揺れる。小粒な宝石のようにも見えるそれは、淡く光をたたえて幻想的でもある。これは鉱山都市レイルで採掘される高純度のミスリル銀をもちいて魔術師が精製するものだ。その過程は個人で異なるようだが、著しく体力や気力を消耗するとは耳にしたことがある。
 練りあげた術を銀の器に詰める。それは魔術や触媒を持ち歩くための唯一の方法になる。普段でこそ後方支援が主体の司書たちだが、魔術が扱えない状況下でも応戦できるようにと約ニ〇〇年ほど前に確立された技術だ。今では一般的に普及したのもあって、ごくごく初歩的な技術にあたる。
 そんな初歩的な術でさえ、セスという男にはままならない。何故なら、触媒そのものに働きかけを促すことができない体質だからだ。この体質には困らせられることが多く、こういった些細なことでも誰かを頼らなければならない。

「とは言っても、また視察に出ねばならんのだがな。可能ならお前に監査の代理を頼みたいんだ。頼めるか?」
「どれも中央の管理か。構わないというのであれば引き継いでくれ」

 その言葉を待っていたと言いたげに彼女から積まれたのは、調教師の仔細が記載された書類だった。このレムギアが抱えている調教師のなかでも曲者ぞろいと噂される中央管理局からの書面だ。パラパラと確かめるように流し見ていると、そのうちの一枚に走り書きのメモが残されている。
 シエル=ヴァンベルグは十六で調教師になった好き者。要注意。
 いかにもユニアが使いそうな情報の運び方だが、妹を相手にしても少し厳しすぎないかと思う。彼女はどういった理由か、ことさらシエルには厳しかった気がする。言葉選びに礼節ひとつ。どれを取っても記憶の中の同じ面差しをもつ女性とは似ても似つかない。血を分けた存在だからこそ、残った想い出に対してより頑なになっているのだろうか? その女性とはシエルたちの母で、まだ幼かったユニアは実の姉のように慕っていた。もちろん自分も彼女を慕っていたし、兄も多分そうだったのだろうと思う。
 去りぎわになって、ふと思い出したように調教師の雇用についてアドバイスをされた。いったい何処からその情報を仕入れてくるのだろう。そんな疑問を感じながらも必要な書類に目を通していたが、結局「私が手配しておくよ」と手際の悪さを鼻で笑われてしまう青年であった。