第六章 白日の幼心




 あれから手紙の返事を書くことが出来ないまま、約束の日は訪れてしまった。収穫が終わったあとの、何もない田畑が続くキーリカ領の冬は寒い。ほんのりと雪化粧をした真っ白な畑に見つけたのは小さな足跡。冬毛が白くて可愛いウサギのものだと分かれば、シエルは童心にかえってその姿を追いかけまわした。
 遊んでいると定刻を報せる鐘が鳴り、思い出したように捕まえたウサギを解放してやった。こんなことをしている場合じゃないと、雪を払いながら大慌てで馬車の停車位置へと駆ける。程なくして首都からの馬車が停まり、降りてきたのはセスと彼に連れられた一人の少女だ。
 恥ずかしそうに青年の背中に隠れた彼女の言葉は少なく、でもはっきりシェリーと名乗った。幼い仕草がカイン伯爵と出会ったばかりの自分自身と重なる。とっさに姉の背中に丁度こんなふうに隠れたものだった。

「そう……貴女がシェリーと言うのね? ごめんなさい。寂しい思いをさせてしまったわ」
「そ、そんな……! お忙しいと思っていたし、こうしてお会いできたから、その……」
「まあ、ありがとう。貴女は優しい子ね」

 話しをしながら冬の道を歩いてザームの屋敷へと落ちつく。きちんと手入れの終わった屋敷の応接間で、暖かい紅茶を楽しむのだ。それがひと段落つけば、生前父の書斎だった書庫を見ていた。
 書きかけの論文や創りかけの魔導書を見つけ、シェリーは宝の山だとはしゃいだ。楽しい時間はあっという間で、腹が空くのもあっという間だった。台所の一角を占領したシエルはてきぱきと料理の腕を振るう。作るのは勿論、客人をもてなすための伝統料理だ。

「……この匂い、どうして」
「書斎に書き留めてあったレシピなのだけれど、何かご存知なの?」
「お前の母の手料理と似てる気がしたが、そんなところに書き留めてあったのか。正直、二度と口にできないと思ってたからな。……驚いた」

 臭みの少ない子羊のロース肉を赤ワインでくつくつと煮込み、ほろりと噛み砕けるほどに柔らかくする。付け合わせには塩漬けにした鹿肉を削いだものに、貯蔵していた野菜たちを絡めた簡単なサラダ。それからルウェン汽水湖で揚げられた白身でぷりっとした翼魚の腸詰めに、ミゼル貝の香草焼きを添える。毎回のことだがミゼル貝のグロテスクな外見が苦手で、殻から引きずり出すまでが難儀する。シエルは容赦なく濃い塩水に貝を投げ込み、逃げようとして殻から出てきたところの美味しい身を捕まえるのだ。
 香ばしく焼きあげてしまえば、あとは見栄えよく盛り付けるだけである。厨房から漂ってくる匂いに懐かしさを感じながら、自然とセスは表情を緩めていた。皆で長机につくと食前に短い祈りを捧げる。こうして誰かと、ましてやメイドたち含めて和気あいあいと食事を摂るなど、シェリーにとっては初めてのことだった。

「なんだ……シエルか。何処かへ出るのか?」
「ええ、これから少し。セス様も来る? メイドたちには伝えてあるわ、行きましょ」

 玄関ホールに灯りがついている。そのことを不審に思ったセスがそちらへ行くと、防寒のコートを羽織って何やら出かける支度を整えるシエルの姿がそこにあった。訊ねながらも、はなから連れて行くつもりなのか男物のコートをしっかり渡してくる。
 星がまたたく寒空の下をカンテラの灯火だけを頼りに、革袋を持って森林地帯へと踏み入ってく。綺麗に舗装された道を外れて、監視小屋を越えたところから獣道へと分け入った。十五分ほど歩き続け、やがて小高い丘のような場所に出る。ふぅっとカンテラの灯りが消されると薄ぼんやりと淡い光に包まれていたことを知ったのだ。

「これは宵待花の……? 本当にあったのか、驚いたな」

 その場に屈み込んだセスは、そこに咲いている花が高山植物の一種であることに気づく。この国では宵待花などと呼ばれていて、小さなラッパ状の花を咲かせるのだ。花は顔料にもなるらしいが、貴族であっても安易に手が出せないほどの値がつくとは聞いたことがある。
 ザームのどこかにある宵待花の群生地。それは元領主だったヴァンベルグ伯爵が、第二夫人に贈ったものだった。それを聞きつけたナハトと一緒に、さんざんキーリカ領内を探してまわった記憶があるが、灯台下暗しとはまさにこのことだ。

「子供の頃にこの場所に来て、よく遊んだわ。父様の結界があるから、ちょっと見つかりにくいの」
「先生の結界が……? なるほど、それなら見つからないのも分かる気がするな」
「ねえ、セス様。私の父様……ってどんな方だったの?」

 小さな花から少しの花粉を取ったシエルは、化粧を施すようにそれを目元に乗せた。誰にでも同じ顔をする彼女が、こうして自分のためだけに飾ってくれている。その事実が言いようのないくらいに嬉しかった。
 父母を知らないなら、当然の疑問だろう。周囲が囃すほどなのだ、いやでも興味を持つだろう。話しを振られたセスは言葉を詰まらせながらも、様々な記憶から彼らの人となりを教えてやりたいと思ったのだ。

「こう言いたくはないが……兄さんは先生に似た気風をしていると感じるな。捕まえたくても、なかなか難しい」
「じゃあ、母様は? どんな女性だったの」
「先生を捕まえるのが上手くて……笑顔が素敵な。でも、一度怒ると先生も僕たちも何も言えなかったな」

 ふ、と表情が自然と緩んだ。思い返すと過ぎ去った過去も楽しいものだったと、セスは改めて知った気がする。子供じみた悪戯を仕掛けた先生と兄が、父や彼女に叱られるまでが一連の流れだったが、二人揃ってまったく懲りていなかった気がするのだ。
 話しながら表情を緩めた青年の姿に、シエルは物珍しそうにそれを見つめた。そんな彼女は革袋を開けると、小さな植木鉢を取り出す。柔らかくした土を入れ、宵待花の株を少しだけ移す。そうして心ばかりの贈り物を用意すると、まっすぐ屋敷に帰った。

「お帰りなさい、お兄様。ずるいわ、お二人だけでお出かけなんて」
「そんな顔しないで、シェリー。どうしても貴女に渡したいものがあって」
「わたしに……? なあに、お姉様」

 出迎えてくれたシェリーはむくれていたが、贈りたいものとの言葉に興味を持ったみたいだった。作ったばかりの鉢植えを渡すと、少女は嬉しそうにはにかみ大切そうに抱えた。そうして再び書斎の明かりがついて、その日の夜は賑やかに更けていくのだった。