第七章 妄執




 あの貴隷調教師が、カイン=クロイツ伯爵の貴隷になった。
 その噂と事実は、またたく間に宮廷社交界へと広まった。帯刀を許されない宮廷で騒ぎを起こしたユニアは、反逆罪を着せられて軍を追われていたのだった。計画どおりに家財のすべてを手放してもらい、ひとまず身を伏せてもらうことになっている。

「どこもその話題で持ちきりですぞ。まったく困りましたな」

 宰相の困り果てた声がする。気持ち程度の世間話を切りあげると、正装を纏ったセスは少年王と名高いアドラー三世への謁見を求めた。
 荘厳な座が位置する謁見の間で、恭しく跪づく。やがてひとつの気配を感じると、面をあげるように促された。目線の先には中性的でいて穏やかな、それでいて凛々しささえ感じさせる少年が座している。

「クロイツ少佐、其方の働きには目を瞠はるものがあります。どうぞ、用向きを話してください」
「……は。家名と少佐の権限、相続権――すべてを放棄、あるいは特務少将殿に贈呈したい」
「よいのですか。クロイツ家の家督を継げるのは其方だけでは?」
「気遣いは痛みいる。しかし、そこまで気にされる必要はない。それらを放棄あるいは贈呈し……私は特務少将殿との決闘を所望する」

 低く重たく発せられた一言に、場は水を打ったかのように静まり、それから思い出したかのように騒然となった。すぐさま印紙が用意され、ひと呼吸おいたセスは迷わず筆を落とす。そこには真っ青なサインが浮かび出た。
 堅苦しい謁見を終えて、宮殿の庭を歩く。長椅子に座ってぼんやりと景色を眺めていると、その視界の端に翻って揺れるスカートが映った。きょろきょろと首を巡らせる姿は、誰かを探しているようにも見えなくもない。

「……迷ったのか?」

 その歩幅、靴音の間隔には覚えがあった。彼女だ。そう思いながらも、まるで赤の他人のように声をかけた。貴隷であるシエルがここに居るということは、今頃カイン伯爵もサインをしたためているはずだ。

「広場で決闘があると。そのように伺いましたけれど」
「……そうか。耳が早いものだな」

 少女が貴隷になってじきに一ヶ月が経とうとしている。気まぐれだった性質は多少なりとも落ちつきを見せたのか、淫らな雰囲気には凄みのようなものまで感じる。覗くようにチラリとでも視線を流せば、誰もが気をそらしてしまいそうだ。
 帝国でも五指に入るほどの貴隷――。ふとそんな喩えが浮かび、考えを掻き消すようにセスは緩くかぶりを振った。

「将校様。どうかご武運を」

 古い魔術言語が刻まれた銀筒を一本ずつ、合わせて三本ほど握らされた。それらはどれも青年のために用意したのだろう、表情は今にも泣きそうである。だからと言って気の利いた言葉を紡げるはずもなく。

「勝って戻る。……必ずだ」

 ぽん、と雑に頭を撫でてやる。長椅子に彼女を座らせると、セスは己を叱咤するように背中を向けた。これ以上は離れがたくなってしまうと、内心では気が気でなかったのだ。


***



 決闘が約束されたのは一月の三週目、火曜日。
 寒空の下、広場には大勢の観客が集まった。この帝国で右に出るもの無しと謳われた男とその父親が、たった一人の貴隷を賭けて果たし合うのだ。市勢にとってこれほど傑作なものは無いだろう。剣帝に憧れる少年も、カイン伯爵に付き従う司書たちもこぞって集まった。

「打ち込んでこないなら私からいくぞ。――ほぉら!」
「……ッ! 相変わらず無茶苦茶な……」
「凌いでばかりでは私の首は落ちないぞ? そら、切っ先はこちらだよ」

 精錬された剣の持ち手がまるで指揮棒でも振るうかのようだ。弧を描いてしなる鞭状の剣先が、あらぬ方向から不意を突くよう迫ってくる。払い落として受け流していたセスだったが、やはり普通の鋼材から作られる剣では耐えられるはずもなく――三度目の剣先を弾いた時にはバキンッと鈍い音をたてて貫かれてしまった。
 左袖に仕込んだ銀筒を抜く。テュール。小さく呼びかければそれは応える。
 銀筒に魔術を詰めるさい、元素と触媒の比率が重要になってくる。多すぎても少なくても駄目で、非常に繊細なのだ。その性質をあらわしたかのように、優美なシルエットをしたエストックが現れた。
 淡く蒼白い光りをたたえた刃を軽く振り払う。たったそれだけの動作だが、武器としても秀作なのが分かった。握った感触も、重さも、どれをとっても手に馴染む。

「それは、なぜ貴様が……! 諦めの悪いものよ、帰ったら灸を据えねばならんようだな」

 激昂にも似た壮年の声。屋敷では徹底的に情報統制をしている。だから、貴隷であるシエルはこの決闘の存在すら知らないはず。それをいつ、どこで?
 魔剣士伯は剣を収めるようにその精錬形態を変えた。新たに出てきたのは直槍。飾りが一切なく、かえって無骨とも取れる意匠だ。それを構えると低く腰を落として間合いを取った。
 繰り出されたのは素早い突き。一直線の軌道を読むのは簡単ではある。その俊敏さと言ったらとても五十代とは思えない。とはいえ必ず隙は生まれる。それを見出そうとするあまり、剣を構えながらも今一歩が踏み込めない。薙ぎ払われた衝撃と勢いに耐えきれなかったセスは、こともあろうか刃を手放してしまう。

「しま……っ! くっ――痛み分けだッ」

 とっさに腰に仕込んだ銀筒を起動させる。高密度の触媒がカイン伯爵めがけて針状に飛んでいく。後退することでそれを凌ぎきった壮年は、足元に残った術の残骸に瞠目した。
 この術はごくごく初歩的な、それこそ子供が扱うような児戯同然のもの。しかし足元にあるのは一般的な術系統とは異なる、魔術の触媒だけを集めて練ったものだ。それを扱える者は限られてきて、どう考えてもあの天才の系譜以外には成しえない芸当になる。

「どこまでも、どこまでも私のものにならないつもりか……! これなら抗いきれるかね、小僧ッ」

 ピリッとした空気の、元素の震えを肌で感じる。いくら銀筒の補助があるとはいえ、よくもこれだけの大掛かりな術式を編むだけの気力や体力が残っているものだ。剣を拾いあげたセスは一気に距離を詰める。
 間髪入れない判断でタンッと深く踏み込んで、互いをその射程に収めた。そのまま重みに任せて振り抜いたエストックが斬り捨てたのは、口惜しくも魔術の虚像だった。凍りついた影は粉々に砕け散っていく。術者はその奥に潜んでいる――勢いに任せて刃を突き立てようとしたが、それさえも本体が半歩ほど引いたことで空を斬る。

「悪くはない。だが……これで終いだ」

 その言葉の示すところは故意に引き起こした魔術の暴走であった。一点に集まった力を調律するカイン伯爵が不在になったことで乱れだし、元素の塊が四方八方へと飛散する。

「どこまでも、どこまでも……貴様ァ!」

 制御を失ったことで狙いは無差別になり観客たちをも巻き込んだ。そこかしこから上がる悲鳴に、セスは感情任せに薙ぎ払った。大振りな動きで壮年を仕留めるには至らず、混乱に乗じてその姿が消える。
 青年はそのあとを追いかける訳にもいかない。居合わせた司書たちをかき集めたが、精巧すぎる魔術を前になすすべも無い。誰もが諦めかけたその時だった。

「ほほほ。なんぞ騒がしいと思ったらカインの坊主にも困ったものじゃて」
「老! いつの間にこちらへ」

 壊滅寸前のこの場に現れたのは小柄な老人。ぱっと見たところ年齢は七十か八十に感じるが、実際それ以上なのだろうか? 長命で魔術に秀でたエルフの出身らしくぴょこりと尖った耳が印象的である。

「お前さんがあの坊主の倅かね。その銀筒をよく見せてみい」
「…………? これを、か?」

 言われるままセスは残った銀筒を手渡す。それだけ使わなかった、いや正確には『使えなかった』ものになる。一体どんな術が込められているのか。

「これは……あの悪たれが遺した術かね。触媒だけを扱うなど当代きりと思っていたが、まさか使い手がおったとはなあ。驚いた」

 老エルフは手の中でしばらく銀筒をもてあそび魔術の中心へと投げ入れた。すると、四方に散っていった魔力もろとも内側から解けていったではないか。
 ただの元素と触媒に戻って、空気中へと霧散していく。光がまたたくように燃える。時間でも忘れたかのように場に居合わせた誰もが、その光景をじっと眺めていた。


***



 ローデにたどりついたカイン伯爵は、シエルの部屋へと押しかけた。長く使われていなかった部屋だが、調度品ひとつ取っても彼女が好みそうなアンティークに誂えなおした。……それなのに。
 止めるメイドたちをも斬って捨てんばかりの勢いに、少女は黙って手元の鈴を鳴らした。今夜は部屋に来て欲しい。壮年にだけ伝わる控えめな合図。心配そうにする使用人たちを鏡台から視線だけで見送ると、広い部屋に二人きりになった。

「なぜ私のものになることを良しとしない?」
「伯爵様の性質に問題があるからではないかしら」

 シエルは怖じることなくしれっと言い放った。まるでその怒りに触れているようで、細められた瞳は睨めつけるようだ。なによりもその口ぶりに、今は亡き少女の母親の影を見る。
 これは壮年がまだ年若かった時の話しだ。盟友の領地を見てまわっていたとき、偶然立ち寄った小さな村で生贄にされた少女を助けたことがある。痩せてほそり身体の肉を鴉につつかれた傷もあった。それであっても供物にされたことを嘆きもせず、恨み言のひとつも出てこなかった。

「なかなかどうして。そうしていると彼女に……母親に似てきたな」
「……えっ……」

 双子を産んでそう経たずに流行病で亡くなった彼女。面立ちや立ち振る舞いひとつ。どれも少女の記憶には残っていない。若くして死んだ父親のことなど尚更だ。
 父母の人柄をセスに教えてもらったが、魔術に天才的な男とそれを好いた物好きな女の子供。あれから色々と考えてみたが、そんな印象しかないのが現状である。

「それより倅に会ったな?」
「庭園でお会いしたわ」
「そのときに渡したな?」
「フェアでないもの、当然でしょう」

 じりじりと距離が詰まる。殺したいのなら今すぐにでもそうすればいいのに。なのにこの男は、いつだって殺すという安楽だけは与えてくれなかった。

「お前のおかげで殺し損ねたじゃないか」
「あら、伯爵様でも年齢には勝てないようね? 安心したわ」

 くっと上向かせられ、その瞳を覗かれる。暗い光を宿した翡翠からは、それ以外が窺えない。少女から吐き捨てられた無情とも取れる言葉に、カイン伯爵は深々と眉間に皺を寄せた。
 年若い男を相手取って持久戦に持ち込むのは極めて不利だ。いかにこの紳士が鍛えていようとも限度がある。正攻法で勝つには男は老いすぎた。だからあのとき、彼女にまつわるすべてを放棄させたというのに……。

「あれは相当お前がいいらしい。どこの娘の肉を知ればああなる?」
「女の私には存じあげないことね。それより聞かせてくださらない? 私の父様と母様が出会った頃のお話しとか」
「私を寝かせないつもりかね。――良いだろう」

 キングサイズのベッドに二人で身を沈める。サイドの小さな灯りだけが薄ぼんやりとカイン伯爵の横顔を照らす。彼の口から語られたのは、今の落ちついた佇まいからはとても想像のつかない冒険譚であった。
 父とは魔術の同門で、大人げなく子供じみたイタズラを仕掛けるのを叱りつけるのが日課のようなものだった。広いキーリカ領を一緒に見てまわっていて、そのときに偶然に年頃の娘を――母を助けたこと。未開の森の近くにある監視小屋が当時は拠点のようなもので、三人揃ってそこに住み込んで居たようなものだった。
 他にも昔はもっと剣の腕が冴えたとか、言い寄ってきた貴婦人を抱かなかった夜は無いだとか。今はもう身体が追いつかないが、あの頃は上位魔術だって扱えた。
 ただひとつ、どうにも子宝にだけは恵まれなかった。そう洩らした壮年の表情を知ることはできないが、どこか苦しげに吐き出されたもののように感じられた。

「……でも」
「今日は眠ろう。夜更かしはさすがに堪えるものだな」
「ええ……おやすみなさい」

 ナハト様とセス様がいるでしょう? 言いかけた言葉をシエルは飲み込んだ。
 彼女が知る限りで、カイン伯爵は一度だって二人の息子を名前で呼んだことがない。そこからいくら親子だ血縁だと言っても、彼らに対する情が薄いのだと思い知らされた。向けられた広い背中を何度か撫でてやれば、それは驚いたようにびくりと震えた。そのあと彼が眠ったのかを知ることはできなかったが、朝になってシエルが目を覚ますと隣りにはその姿が見当たらなかったのだ。